Raphael
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東京公演6月3日(土)・・もうすぐです!
「もう一度東京へいらっしゃい」と、日野原先生をはじめ、東京でお会いした方々に背を押していただいて、二度目の東京公演を準備しています。前回、二年前の東京でのコンサートは、これまでのコンサートとは少し違った感じがしました。色々な分野で働いておられる方々1800人が、別々なところから個々に集まってくださったからではないかと思います。そして、皆さん熱中してプレーヤーたちのメッセージを受け止め、観てくださり、これまでと違った方面へ広げてくださったように感じています。
それで、今回も社会貢献事業を手がけてこられた「朝日エル」の皆さんが主催を引き受けてくださり、医療や教育専門家の皆さんを柱に、社会貢献活動を地道に耕しておられる「性と健康を考える女性専門家の会」の皆さんがまたまた猛烈な広報活動をしてくださっています。無名のグループの広報は大変です。それに今回は、私の体調が許されず、東京行脚がかないません。役割を果たせず申し訳なくて・・。というわけで、いつもにも増してハラハラ、バタバタ・・。でもプレーヤーたちは大丈夫。マイペースで頑張っています。東京方面にお知り合いの方がおられましたら、是非、是非、お知らせいただければ嬉しいです。よろしくお願い申し上げます。
楽団あぶあぶあのメンバーたちが生まれたのは約30年前。ダウン症や自閉傾向など知的障害をもってその生涯を送ることになるとわかったときからできる限り日常生活の中で自力で暮らせる力を身につけることをまず、第一の目標に家庭や学校、それに療育機関などが中心になってその教育全般に心血が注がれてきました。それは、彼らが社会の一員として、自然に受け入れられ、スムーズで楽しい人生を送れることが親たちを始め、彼らと出会う折々の人々の願いだったからでしょう。そうした中であぶあぶあのメンバーたちもまた、学齢期を終えるころ、それぞれの諸々の能力、生活場面での技術は、それぞれなりに身につき始めていました。知的障害をもつということは変わらないため、依然として日常の多様な場面で周囲の人からの助力や介護、障害を理解された上での対応を必要とする部分があることは変わりませんが、彼らも又、障害をもたない若者たち同様、心は青年期へと入っていこうとしていました。

 しかし、たとえば計算能力や言語能力をとりあげても、その能力は不十分なところがあり、一般的な社会人としての力量がついているとは言えません。それだけにある部分の仕事は十分にこなせても、実際には認めてもらいにくく社会の中で役立てる力を、いくらかずつもちあわせていても、理解されにくいというところがあります。障害をもつ人そのものの資力が乏しいことから、平等には参加や社会の一員としての諸々での活動がしにくい一面があります。
 音楽活動でも同じようなことは言えます。活動を始めて2~3年目までは、”下手でもいっしょうけんめい”が評価されるにとどまりました。その後は“障害をこえてここまでがんばれる”といったことぱでずいぶんほめていただきました。ところが、5年目くらいを境に演奏がどんどん変わっていくのがわかりました。もちろん努力のかいあって技術的にも少しは上達はしましたが、変わってきたのは演奏全体がメッセージをもちはじめたことでした。
 それは、自分たちの音楽を媒体にして、演奏会で出会う人たちと楽しいときをもとうとするメンバーたちの気持ち、出会う方々の心の楽しさやうれしさを受けて、倍にも3倍にもして、返そうとしている演奏への意欲でした。出会い、知り合っていく人々のしあわせをよろこび、自分もよろこぶ、といったごく自然なメンバーの人柄が演奏する一曲一曲に込められはじめたのです。音楽活動を通して対等に、多くの人々と出会い、自らの音楽を介して楽しいときを分かちあえることになっていったのです。
 チャリティコンサートでの音楽ボランティアとしての参加、聴覚障害をもつ子供たちがコンサートに来てくれたことを知って少しずつ覚え始めた手話つきボーカル。ひとまわりもふたまわりも若い同じ障害をもつ子供たちへ直接、やさしい言棄・心をかけながらのコンサート、そんな中から姉妹グループは、知らせを受けているだけでも全国に20近くになりました。

 3年前に、15才近く若いダウン症や自閉症などの知的障害をもつ若い学生たちに呼びかけて、あぶあぶあのメンバーと姉妹グループで社会人の歌うグループ“あぷちやんず”一緒になってミュージカルづくりを始めました。これが、このあと紹介、報告します「ミュージカルLOVE」です。このミュージカルの後輩たちにあぶあぶあの先輩たちはインストラクター役を果たし乍ら、ミュージカルを創作しています。30才に入ったあぶあぶあの青年たちがこれまでに両親をはじめ、先生方、ポランティアの皆さん、地域の人々、多くの人々に育てられて身につけたことごと、そして、自らの誠実な日々の努力によって培ってきた力と心を若い人たちに伝え始めています。ごくふつうの成人した大人たちと同じように自分に授かり持たされている人間としての宝を若い人たちにごくごく自然に譲り始めたのです。
 メンバーたちは”自分のもつ力を多くの人のしあわせのために使う”ということで自然体での社会参加や貢献を果たしていると考えられます。音楽活動は、それを可能に導き得た媒体のひとつといえます。

知的障害をもつ人たちに芸術的資質が障害をもたない人たちに比べて高いという調査結果はどこにもありません。遺伝的素質においてはごく自然にメンデルの法則に従っているのでしょう。環境的事情も障害をもつ人たちの生活面での自立に向けた乳幼児期からの訓練的教育や療育に要する、体力や時間の消費を考えると、決していいとはいえないところです。
 むしろ、ごく自然な比率で存在しているだろう非凡な創造力をもった天才型の芸術分野での活躍を望めるはずの知的障害をもつ人たちに対する芸術家への道をその発掘から養育支援することも大切と考えますが、ここではミュージカル「LOVE」のメンバーたちのように、決して非凡な人たちの集まりではないと思われる知的障害をもつ人たちの創造力についてさらにすすめて考えてみたいと思います。
 創造性や創造力は、一般的に認知能力や知的能力の範疇ではとらえにくいのは、多くの人の感ずるところです。研究者マズロウ(1964)は、創造力を「特殊能力(天才型)」と「自己実現を成すための創造力」とに分けましたが、芸術作品を産み、芸術的活動に至る可能性のある人たちは、前者の特例な能力をもつと報告しています。もちろん、「LOVE」のメンバーだちは、後者の人が殆どでしょう。したがってミュージカル「LOVE」は、あくまでも平凡な一個人としての自己実現を成すための彼らの創造力が産みだしている表現にすぎません。ところが、それが強く深く観る人を強め秀逸な芸術作品がもっているような人々をあたためる力があるというのは、どういうことなのか。彼らの自己実現のテーマが、その育ちゆく人格を通して、「うれしく楽しく生きたい」という一点に焦点があたっていき、そのために自分自身を愛し、あたため、周囲の人を大事にしようとするシンプルな行動、表現になって現れてくるからではないかと思われます。

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