Raphael
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今日の聖句
2006.4.29

ヨハネの黙示録
22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見た
とき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もう
とした。
22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなた
の兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕え
る者である。神を礼拝せよ。」
****
様々な幻による啓示や御言葉に対する希望や期待を教えられたヨハネは、感動
のあまり、思わずそれを示してくれた天使にひれ伏して拝もうとしてしまいま
す。感極まってのことでしょう。
しかし、天使は厳しい口調でその礼拝を拒否します。
そして、自分のことを「信徒に対して仕えるしもべ」であることを強調して答
えています。天使は神に仕え、信じる私たちへの奉仕者として存在しているの
です。
そして、きっぱり言います。「神を礼拝せよ」と。

自分を礼拝の対象としてしまうことの恐ろしさを天使はよく知っていました。
人からほめられることはうれしいことですし、高い評価も好ましいことですが、
まるで「神」でもあるかのように拝まれてしまうことに対して天使はきっぱり
拒否しているのです。
自分を神と等しいものにしたいという願いは、誰の心にも存在する潜在的な思
いです。人から拝まれることを願う心は、そのまま人を支配する心に通じます。
礼拝の対象は「神のみ」なのだと天使は教え、聖書はそれをはっきり教えてい
ます。
ちなみに、イエス様はご自分が拝まれることを拒否してはいません。

私たちが礼拝すべき対象は、「神様」であり、イエスキリストの御名によって
父なる神様を礼拝するのです。
それにしても、私たちの心の中にヨハネのような、感極まった感動による礼拝
意識ってあるでしょうか?いつもいつも、そうである必要はないのですが、礼
拝したくてたまらないという思いで礼拝式に参加したことがありますか?
あるいは、義務感からでしょうか?
いずれにしても、 「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をも
って礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:24)と言われたイエス様のことば
を思い出しながら、誠実な礼拝を捧げたいものですね。心をしっかり神様に向
けて礼拝をささげたいものです。
祝福がありますように。
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あきらは、ネットでヨハネと、広い御名を潜在しなかったよ。


【2006/04/29 11:19】 URL | BlogPetのネズミ講 #-[ 編集]














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