Raphael
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ヨハネの黙示録
21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去っ
て行き、もはや海もなくなった。
21:2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花
嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神
の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら
人と共にいて、その神となり、
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、も
はや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
***
「新しい天と新しい地、新しいエルサレム」という名前が出てきます。今の
ものとは連続性がまったくないわけではなく、罪と悪の一掃された、創りか
えられた、支配権に明確な違いがあるその空間が紹介されます。そして、そ
の新しい地には、神様の臨在が明確になるのです。神様が私たちと共にいて
くださることが今までのそれとはまったく違う形で味わえるようになります。
そこには「死も、悲しみも、嘆きも、労苦も消えうせ、神様の臨在が明確に
なり、過去の苦しみや悲しみのすべてを忘れさせてくださるほどの慰めが神
様ご自身から届くのです。
神様を文字通り、神様として味わうことができるようになるのです。

神様が共にいてくださることが明確にわかると、現在のこの地上における生
活においても、状況が変わることがあまりなくても、平静な心や感謝できる
心が不思議に湧いてくることがあります。
不自由な生活の中でも、感謝できる心が育ちます。
しかし、この「新しい天と地」に住むことになったら、そこでの平安や喜び
は今までのものとは比較になりません。神様の臨在があまりに濃厚だからで
す。

信頼できる存在が近くにいてくれることで、なんとなく安心できたことって
ありませんか。ツアーガイドとか、その道の達人とかが一緒にいてくれたら、
自分はあまりわかっていなくても平気でいられるという経験です。最終的に
神様が用意しておられる、その新しい天と地には、神様ご自身の臨在感があ
ふれ、しかも、罪の影響が排除されているので、死の恐れも迫害の恐怖も感
じることなく幸せを存分に味わうことができるのです。そこに私たちは向っ
ており、そこが私たちの最終的な到達地点なのです。
楽しみです。
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