Raphael
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今日の聖句
2006.4.11
ヨハネの黙示録

19:10 わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使
はわたしにこう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っ
ているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの
証しは預言の霊なのだ。」
****
ヨハネは天使を拝もうとしてひれ伏しますが、天使はそれをいさめます。天
使は自分のことを神に仕える者なのだと位置づけ、神を礼拝するようにと勧
めています。ここに大切な教えがあります。礼拝は神様にのみ捧げられるべ
き事柄なのだという教えです。怖れや感動から、感謝と尊敬を超えて、その
対象を神様のように礼拝してしまうことは大変危険なことなのです。イエス
様の公生涯の最初の頃サタンはイエス様に対して荒野で誘惑を試み、自分を
礼拝するようにと求めました。イエス様は断固としてそれを拒否なさいまし
た。
この箇所では、ヨハネは本当に感動し、言葉に出来ないくらい、目の前の出
来事に圧倒され感激しているのです。思わず、天使に対してもまるで神様に
対するように気持ちでひれ伏してしまったのでしょう。しかし、天使は、そ
の行為を喜びませんでした。礼拝は神様にのみ捧げられるべきものなのです。

天使はクリスチャンのことを「イエスの証しを守っているあなたの兄弟」と
いう呼び方で紹介しています。
そして「イエスの証しは預言の霊」と教えています。預言というのは必ずし
も予言と同じではありません。聖書での預言とは、神様から託され預けられ
た啓示、教えの言葉のことです。イエス様は私たちに神様からの教え、神様
の真実を託してくださるのです。
ですから「イエスの証しを守っている人たち」とは、神様に礼拝を捧げつつ
生きている人であり、また聖書を丁寧に学び、神様が自分に何を語っている
のか、聖書を通して神様が教会や社会に何を語り、何を教えているのか真剣
に考え、神様からの促しと啓示と感動をいただきながら心に託された教えを
守り、またそれを必要に応じて分かち合いつつ生きている人のことです。そ
の生き方は、私たちにも求められているものです。だからこそ、聖書を読ん
で考えることや教えられることが大切なのです。聖書は神様が私たちに託し
てくださった「神様ご自身の愛と人間のあり方に対する啓示の書」なのです。
祝福がありますように。
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