Raphael
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―世界史との出会い―
利家の側近に、なぞの天文家 科学知識が布教の力に

 能登、加賀、越中の地がヨーロッパの世界地図に初めて登場するのは1590年代である。日本にキリスト教が伝わったことと関連しているという。アルファベットで記された日本国内の旧国名には教会のあった土地が少なくない。東西文明が一気につながり始めたのがこの16世紀だったが、キリシタン高山右近の生涯と重ね合わせてみると、右近によって初めて北陸の地が世界史と出会ったことが、よく分かる。
 ルイス・フロイスの「日本史」第69章に興味深い記述がある。以下、右近が前田利家に仕えることになって以後のことである。
 「この筑前殿(利家のこと)には今一人(右近のほかに)極めて高い位の貴人が仕えているが、彼はジュスト(右近)の親友だった。この貴人はかねてより月食、その他、天体現象に好奇心があり、右近は彼が改宗してキリシタンになることを熱望していた」(松田毅一・川崎桃太訳)。
 九州名護屋城で出た話であるから、1590年代初期の話と見られる。フロイスの記述によれば、右近は、この利家に仕える天体観測に興味を示す友人を入信させようと西洋の天文学に精通している外国人修道士に引き合わせ、日食、月食、彼岸の中日や冬至(とうじ)など、日本人が知らない天体のことを話して聞かせた。「それに続いて修道士は万物の創造主と霊魂の不滅性、その他聖なる事項」(同)を貴人に説明したと言う。
 前田利家家臣の中に、天文学に詳しく、高山右近と親しく、かつキリシタンの教えに耳を傾ける人物がいたというのである。
 ところが、これほど詳細なエピソードが残されているにもかかわらず、加賀藩側のいかなる資料にも、この天体観測に興味を持った利家側近が、だれかはいっさい記されていない。また、当時の北陸で、日食や月食を観測したという記録もない。多くの歴史研究者がナゾとする記述なのである。
 加賀藩で蘭学(らんがく)の知識による天文学の研究が本格化するのは、この記述から200年も後になってからのことである。先のエピソードにあるように、16世紀末の日本で、仮に日食や月食を予言し、数日後にその通りになったとしたら、バテレンたちへの信頼は揺るぎないものになっただろう。当時のキリシタンの布教の仕方の一端を知る記述だといってもよい。
 フロイスの「日本史」第48章にはこんなくだりもある。修道士が織田信長に地球儀を見せたところ、すぐに理解したという有名な話だ。丸い地球の遠い裏側からやってきた旅の苦労を詳しく聞いた信長はバテレンたちの勇気と使命感をたたえたという。
 加賀に来た高山右近と修道士が、天文学などの科学的知識を披瀝(ひれき)し、利家の側近を入信させようとしたのと、ほぼ同じ構図だ。
 右近は今で言う「理系の人」だった。当時の日本人としては珍しい土木、建築、測量の知識が豊富で築城の名手と言われた。それが天性の頭脳によるものであったのか、キリシタンの教えとセットで学んだ知識だったのかは定かではないが、中世史研究家の池田こういち氏(金沢市)は「当時のキリシタンが、布教に科学知識を使うのは、一つの手段だった」という。

鉄砲の里として知られる滋賀県長浜市国友。
歴史を生かした街づくりが進む。

 琵琶湖畔の安土城の北約30キロ、長浜市郊外に国友という集落がある。1543年の鉄砲伝来から10年もたたないうちに国産の鉄砲をつくり上げた刀鍛冶たちが住んだ村である。
 鉄砲に目をつけた織田信長はいち早くこの鉄砲鍛冶を取り込んだともいわれ、最新鋭の武器を調達して天下統一への道を走った。江戸時代後半になると、この村には国友一貫斎という名匠が生まれ、鉄砲のほかに日本で最初の天体観測用反射望遠鏡を作った。
 天保年間のある日、一貫斎は自ら製作した反射望遠鏡2台を携えて「購入してほしい」と加賀藩に売り込みにやってきたという。当時の加賀藩にはハレー彗星(すいせい)などを観測したり、測量術を進め、独自の望遠鏡を製作した科学者グループが存在したからだと伝わっている。
 加賀の天文学のルーツは不明だが、藩祖利家のころから側近に天文学や暦学に強い家臣を置き、南蛮(なんばん)渡来の科学知識を吸収する素地が加賀にあったことはフロイスの「日本史」にある通りだ。
 加賀藩270年余の中で、右近らキリシタンの住んだ時代は10分の1にすぎない。その影響はどれだけ残り、どう伝わっているのか、ほとんど分かっていない。が、失われた歴史の底流に、鮮烈な「世界」との出会いの記憶が形を変えて流れ続けていたとしても不思議ではない。

〔16世紀の日本と世界〕
 バスコ・ダ・ガマが大西洋から喜望峰を経てインドに到達したのが15世紀末の1498年。1519年になるとマゼランが世界一周航海に出る。イエズス会が創設されたのと同じ1534年に織田信長が生まれている。コペルニクスが地動説を発表したのが1543年。この年、日本の種子島に鉄砲が伝来した。世界史と日本史の動きが密接に絡みだした世紀である。
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俳句
『天体に 研究すなる 好奇かな』
『郊外を 記憶するのは キリシタン』
『宿老に 記憶したれば 城下なり』
【2006/01/15 13:57】 URL | MT #-[ 編集]














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