Raphael
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正信念仏偈(しんじんのうた)
ひかりといのち きわみなき
阿弥陀ほとけを 仰がなん
法蔵比丘の いにしえに
世自在王の みもとにて
諸仏浄土の 因たずね 人天のよしあし みそなわし
すぐれし願を 建てたまい まれなる誓い おこします
ながき思惟の 時へてぞ この願選び 取りませり
かさねてさらに 誓うらく わが名よひろく 聞えかし
十二のひかり 放ちては あまたの国を 照らします
生きとしいくる ものすべて このみひかりの うちにあり
本願成就の そのみ名を 信ずるこころ ひとつにて
ほとけのさとり ひらくこと 願い成りたる しるしなり
教主世尊は 弥陀仏の 誓い説かんと 生れたもう
にごりの世にし まどうもの おしえのまこと 信ずべし
信心ひとたび おこりなば 煩悩を断たで 涅槃あり
水のうしおと なるがごと 凡夫とひじり 一味なり
摂取のひかり あきらけく 無明の闇 晴れ去るも
まどいの雲は 消えやらぞ つねに信心の 天覆う
よし日の雲に 隠るとも 下に闇なき ごとくなり
信心よろこび うやまえば まよいの道は 截ちきられ
ほとけの誓い 信ずれば いとおろかなる ものとても
すぐれし人と ほめたまい 白蓮華とぞ たたえます
南無阿弥陀仏の みおしえは おごりたかぶり よこしまの
はかろう身にて 信ぜんに 難きなかにも なおかたし
七高僧は ねんごろに 釈迦のみこころ あらわして
弥陀の誓いの 正機をば われらにありと あかします
楞伽の山に 釈迦説けり 南天竺に 比丘ありて
よこしまくじき 真実のべ 安楽国に うまれんと
みことのままに あらわれし 竜樹大士は おしえます
陸路のあゆみ 難けれど 船路の旅の 易きかな
弥陀の誓いに 帰しぬれば 不退のくらい 自然なり
ただよくつねに み名となえ ふかきめぐみに こたえかし
天親菩薩論を 説き ほとけのひかり 仰ぎつつ
おしえのまこと あらわして 弥陀の誓いを ひらきます
本願力の めぐみゆえ ただ一心の すくいかな
ほとけのみ名に 帰してこそ 浄土の聖衆の かずに入れ
蓮華の国に うまれては 真如のさとり ひらきてぞ
生死の薗に かえりきて まよえる人を 救うなり
曇鸞大士 徳たかく 梁の天子に あがめらる
三蔵流支に みちびかれ 仙経すてて 弥蛇に帰す
天親の論 釈しては 浄土に生まるる 因も果も
往くも還るも 他力ぞと ただ信心を すすめけり
まどえる身にも 信あらば 生死のままに 涅槃あり
ひかりの国に いたりては あまたの人を 救うべし
道綽禅師 あきらかに 聖道浄土の 門わかち
自力の善を おとしめて 他力の行を すすめつつ
信と不信を ねんごろに 末の世かけて おしえます
一生悪を 造るとも 弘誓に値いて 救わるる
善導大士 ただひとり 釈迦の正意を あかしてぞ
自力の凡夫 あわれみて ひかりとみ名の 因縁説く
誓いの海に 入りぬれば 信をよろこぶ 身となりて
韋提のごとく 救われつ やがてさとりの 花ひらく
源信和尚 弥蛇に帰し おしえかずある そのなかに
真実報土に うまるるは ふかき信にぞ よると説く
罪の人々 み名をよべ われもひかりの うちにあり
まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに 照します
源空上人 智恵すぐれ おろかなるもの あわれみて
浄土真宗 おこしては 本願念仏 ひろめます
まよいの家に かえらんは 疑う罪の あればなり
さとりの国に うまるるは ただ信心に きわまりぬ
七高僧は あわれみて われらをおしえ すくいます
世のもろびとよ みなともに このみさとしを 信ずべし

正信念仏偈書き下し

無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、 無碍、無対、光炎王、
清浄、歓喜、智慧光、 、不断、難思、無称光、
超日月光を放って塵刹を照らす。 一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。
等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、 ただ弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、常に照護したまう。 すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、 常に真実の天に覆えり。
たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者とのたまえり。この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、
信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、
大聖興世の正意を顕し、 如来の本誓、機に応ぜることを明かす。
釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。
大乗無上の法を宣説し 歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。
ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。
広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。
蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ 、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。
三蔵流支浄、教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。
往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。
必ず無量光明土に至れば 、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修を貶す。円満の徳号、専称を勧む。
三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。 定散と逆悪とを矜哀して、
光明・名号因縁を顕す。 本願の大智海に開入すれば、
行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、
韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、 ひとえに安養に帰して一切を勧む。
専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。
極重の悪人はただ仏を称すべし。 我またかの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興し、 選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。
道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

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