Raphael
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ルルドの泉

1858年2月、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ベルナデットとも)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。聖母を見たというベルナデッタは、教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られた。

しかしベルナデッタが、聖母マリアが自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ」(QUE SOY ERA IMMACULADA COUNCEPCIOU=私は無原罪のやどりである(当時のフランス語でJe suis La Immaculee Conception))という言葉であった。これをベルナデッタは神父に告げた。これによって神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。なぜなら「無原罪の御宿り」は「無学なベルナデッタが知るはずのない」教会用語だったからである。

ただし「無原罪の御宿り」が教義として公認されたのは1854年であって、その教義の通りにわずか4年後にルルドに聖母マリアが出現したのである。

以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。

以後、ベルナデッタ自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入って外界から遮断された静かな一生を送った。彼女自身は自分の見たものが聖母マリアであったと言ったことは一度もない。後に尋ねられた時には「(ルルドに聖母が現れ、奇跡の泉があるという)あの話に本当のことは何もありません」と否定したとも伝えられる。彼女自身、気管支喘息の持病があったが一度もルルドの泉に行くことはなく、より遠方の湯治場へ通っていた。1879年、肺結核により35歳で病没し、1933年に列聖されている。
スポンサーサイト














管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

sebastian

Author:sebastian
僕は知的障害者です。

僕のリンク集です

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

最近の記事

国産小麦シリーズ「たいやきさん」

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。