Raphael
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2007年4月29日
              
序-今日の詩篇は、各行がヘブル語のアルファベット順に始められています。生き生きとしたリズミカルな詩篇です。この詩は、ダビデの人生のある転換点に書かれたようです。自分の思うように熱心に走って来たけれども、それ以上そのまま進むことができなった時、ダビデは自分の道を修正する他ありませんでした。その時、自分の道を導いて下さいと祈りをささげたのです。熱心に頑張って生きていたが、経済がおかしくなったり、失敗したり、思い通り進まなくなったりして断念せざるを得ないような時、私たちが取るべき行動は何でしょう。神様の御顔を仰ぐことです。

Ⅰ-主を仰ぎます-1-3
 ダビデは、自分の人生の道が平坦でなくなった時、その道が修正される時だと考えていました。1節。「私のたましいが、主を仰ぐ」ということが重要です。人々は、他の人の話を聞く時、しばしば上の空で聞きます。しかし、この「自分のたましいが主を仰ぐ」というのは、自分の思いを中止して、神経を集中して、神様の御言葉に耳を傾けるという意味です。人生の危機に差し掛かった時、重大な軌道修正が必要な時、耳を傾けるのです。私たちにも、「たましいが主を仰ぐ」べき時があります。
 なぜそうするのでしょうか。重要な原則があります。一つは、自分の人生の道を正確によく知っておられる方はただ神様お一人だけだ、と認識していたからです。私たちは神様の羊ですから、自分が歩んでいる道がどのような道なのか分からなくなります。神様の導きを受ければ、最も正しい道を行くことができます。神様の願わない道へ行こうとしたり、危険な道に行こうとしたりする時、神様が後ろから引っ張られるのです。ですから、私たちは、その道が分からなかったり、塞がれたりする時、神様の御心が他にあるのかな、と考えて、方向を修正することが必要です。
 なぜ、たましいが主を仰ぐのか、二つ目の原則は、神様は、私たちが何かをすることに溺れることより、神様を正しく知ることを願われるからです。ですから、何かをすることより、神様との関係が重要なのです。私たちが、神様との関係を疎かにして、何かすることに没頭する時、それは優先順位がよくない時ですから、神様が後ろに引っ張って下さいます。神様の前に立ち返らなければならない時なのです。
 言うなれば、「主を仰ぎます」というのは、御前に「黙想の時間」を持つことになります。私たちは、難しい瀬戸際に立たされた時、自分の計画から抜けて出て、神様の前で自分の姿を調べる黙想の時間を持たなければならないのです。静かに神様の前で、自分の姿を省みて、考える時間を持つのです。神様を仰ぎ見るその時、私たちはそれまで忘れていた自分のまずい姿を見るようになります。それで祈りました。2節。この時、ダビデは人生の危機に出会っています。自分がいいと思って走って来たけれども、失敗するようになったからです。失敗すれば、敵の前で恥を見、蔑みを受けるようになります。ダビデがもっとも心配するのは、自分の失敗が誹謗されて、神様の御名が汚されることでした。
 愚かな人は、それは正しい道ではないと聞いても、軌道修正をしようとせず、感覚が鈍くなって、なるようになれと自暴自棄になります。しかし、ダビデは、何か問題があったなら、考えて、果敢に軌道修正をする勇気を持っていました。実際に軌道修正することができることは、どれほど霊的知恵のあることでしょうか。宇宙にある人工衛星の軌道を修正できる時代なのに、人は自分の人生の軌道修正をしません。人生の軌道修正をしないまま、罪に陥ったり、病いに倒れたり、生活破綻したりしています。
 今中年にさしかかったダビデも、重大な危機に置かれています。何か急に面倒になって、自暴自棄になってしまいました。いろいろ失敗するようになりました。不安や焦燥感が増大し、恥を強く感じるようになりました。そこで、ダビデは、神様に前に出て祈って、神様の御心を求めたのです。3節。私たちも、何もかも面倒になったり、自暴自棄に陥ったりすることがあります。不安や空しさに襲われることがあります。しかし、どんな状況であろうとも、主を仰ぎ、神様に聞けば知恵を与えられます。信仰の軌道修正は遅れれば遅れるほど、時間がかかります。若い時に正しい御霊の信仰を持つことがどれほど重要なことでしょうか。

Ⅱ-主の小道を教えて下さい-4--8 
 聖徒たちの軌道修正、それは神様が教えて下さる道です。4-5節。危機に陥ったダビデは、自分の進むべき人生の道を教えて下さい、と祈りました。私たちが神様の民となった時から、主の道が与えられています。アブラハムは、ハランという所で安全な生活をしていましたが、カナンへ行きなさいという御言葉一つで、進んで行きました。冒険を奨励しているのではありません。神様の御言葉の中に「道」があり、力があるからです。
 世の人々は、高い地位に上り、多くの財産を得、人々の上に立つことを幸いと考えます。しかし、神様の民は、できる限り多く人に仕えることが幸いだとなります。神様は、どれだけ大きなのことをしたかではなく、どれだけ多く人に仕え、愛したかを評価されます。人々は、この世に多くのものを所有することを目標とします。しかし、多くのことを所有することに人生の意味があるのではありません。それよりも、まことの神様を知ることが目標となるのです。これが力ある人生の秘訣です。
 そういうことを知ると、過去の肉の熱心さ、歩みがどれほどでたらめで、自己中心的であったか、悟るようになって、恥かしくなります。ダビデもそうなりました。7-8節。神様の恵みを受ければ受けるほど、今まで神様に敵対して来た人生だったな、若い時は的外れな行動が多かったな、と悟るようになりました。ヨブ記13:26。私たちの過去も罪だらけです。酒に酔ったり、お金にとらわれたり、人と争ったり、偶像を拝んだり、占いに凝ったり、そういう罪を神様の前に積み重ねて来たのです。
 しかし、イエス様を自分の救い主と信じた者は、イエス様の十字架のゆえに罪に赦され、新しい道を歩み出しました。ローマ8:1,6:4。ただ、その信仰が霊的沈滞に陥ってしまう時があります。そのような時、私たちは、神様の約束の御言葉を信じなければなりません。神様は、私たちが罪人である時、召し出されました。そして、私たち一人一人が神様の前にどれほど弱くて欠け多い者か、悟らせて下さいました。罪人の時の私たちを愛して下さった神様は、今も愛して下さっておられます。そして、私たちはいつも主の恵みの前に出て行くことができるのです。ヘブル4:16。

Ⅲ-軌道修正された新たな生活へ-9-10
 黙想の時を持った後、人生の軌道修正はどうなるのでしょう。神様は私たちが再起する道、機会を与えて下さいます。どれほど尊いことが分かりません。6節。ダビデは、大きな危機を経験し、王としての人生が終わるかと心配したようです。ダビデは、ひたすら神様の哀れみと愛を切に求めました。再び健康を下さって、神様の民に仕えることができる機会を与えて下さい、と祈ったのでした。神様は与えて下さいました。
 神様が私たちの人生を修正して下さる理由は、再び私たちに機会を与えて下さって、主と聖徒たちに仕えることができる時を与えて下さるのです。これより幸いなことはありません。神の民として世に輝くためです。軌道修正を受けた後には、本当に聖い心で教会に仕えるようになります。どれほど霊的に美しくなり、主の道を進むことができるか分かりません。
 私たちは、霊的に造り変えられる者です。人生の道は、時には軌道修正されなければなりません。ややもすると気が付かないうちに古い人に戻ってしまい、世の人としての価値観で生活してしまいます。それが続いてしまいます。ですから、失敗したり、挫折したり、不安や空しさに陥ったり、それまでしていたことができなくなったりするのは、私たちを軌道修正に導く絶好の機会なのです。あなたの心が主を仰ぎますように、主の道を真剣に求めますように、と祈ります。
 神様は貧しい人を公義に導き、主の道を教えられます。9節。この「貧しい者」とは、いわゆる貧乏な人というのでなく、神様の前に重要なことは何であるかを知っているために、詰らないことに欲心を向けない人のことです。謙遜な者、控えめな人、穏やかな者とも訳されています。結局一人一人が造り変えられて、神様の国をなして行くようになるのです。そして、神様の国の働き人は、人生の実を刈り取ることが出来ます。
 御言葉を学ぶ者に主の道が教えられます。10節。神様の御言葉は無尽蔵です。あらゆることを教えて下さいます。そして、御言葉学んで行く間に、少しずつ軌道修正されるようになるのです。結局神様の御言葉を学ぶことが、すべてとなります。私たちが神様の真理を学ばないなら、世に従わざるを得なくなります。おかしくなった局面を打開することができません。不安や空しさを増大させてしまいます。御言葉を学んで従うなら、主の道を教えて下さり、神様が助けて、力と恵みを下さいます。結局主を仰ぐ者は、神様の御言葉で新たに武装して、力ある新しい人生を生きて行くようになります。これが礼拝の力、恵みです。出エジプト33:13,詩篇128:1。

ダビデによる

25:1 主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。

25:2 わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。

25:3 まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。

25:4 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。

25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、\あなたを一日中待ち望んでいるのです。

25:6 主よ。あなたのあわれみと恵みを覚えていてください。それらはとこしえからあったのですから。

25:7 私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみのゆえに。

25:8 主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。

25:9 主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。

25:10 主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。



ローマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

ヘブル4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

出エジプト33:13 今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。

ヨブ記13:26 実にあなたは私に対してひどい宣告を書きたて、私の若い時の咎を私に受け継がせようとされます。

詩篇128:1 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道128:1を歩む者は。
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