Raphael
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ルカによる福音(1:26-38)

 そのとき、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶(あいさつ)は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降(くだ)り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊(ふにん)の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

『使徒パウロのローマの教会への手紙』16章25節~27節。

神は,わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって,あなたがたを強めることがおできになります。この福音は,世々にわたって隠されていた,秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて,永遠の神の命令のままに,預言者たちの書き物を通して,信仰による従順に導くため,すべての異邦人に知られるようになりました。この知恵ある唯一の神に,イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように,アーメン。

サムエル記

 ダビデ王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」しかし、その夜(よ)、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
 「わたしの僕(しもべ)ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
 わたしは牧場(まきば)の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師(しし)を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興(おこ)す。
 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、
 あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、
 その王国を揺るぎないものとする。
 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。
あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据(す)えられる。」

黙想のヒント

クリスマスまであとわずか。
救い主の誕生を祝うために味わい深い今日の朗読です。
「サムエル記」で、主の家を作ろうとしたダビデが、
逆に、「主があなたのために家を興す」、
「(主が)あなたに安らぎを与える」
と言われました。
私たち人間が神に奉仕するより、
常に先に神が人類のために計らっていてくれます。

マリアは神のお告げを受け、
処女でありながら子どもを身ごもること、
また、預言者と聖書を通して
長い間イスラエル民族が信じ、待ち望んでいた、
救いの実現の第一歩を引き受けました。
それはイスラエルの民だけでなく、
全人類の救いの実現でもありました。

この時代イスラエル民族は、
“救い主”によって救われることを
ひたすら待ち望んでいました。
それだけにイスラエル民族の女性の願いは
「救い主を産むこと」であったという話があります。
苦しみのある日常、しかし、
やがて生まれるであろう救い主が
必ず民を救うという信仰の上に、
女性達には女性ならではの
役割の自覚があったに違いありません。

今日のマリアの姿とよく比較されるのは、
大祭司ザカリアが待望の子どもの誕生を
天使から告げられる場面です。(ルカ1・5-25)
彼はマリアとは異なり、
願いが叶ったと天使から告げられても
疑ってしまいました。

マリアとザカリアの姿から、
私たちの態度を振り返ることができます。
実現しないことの愚痴なのか、
実現に伴う役割を引き受けることも
いとわない願いかどうか。
おぼろげではあっても神のみ旨と感じられた時、
応えてみようと一歩を踏み出すための
神への信頼があるかどうか。
マリアは、
人間の思い・願い・現実に先立つ神の愛を、
示されたありのままに、
被造物としての謙遜と神への従順さをもって
受け入れました。
神を受け入れたことによって、
神を世に示す方となりました。
私たちも神の愛を受け入れたなら、
いつか神の愛を伝える者とされていることでしょう。

信じた方マリアのように、
どんな時でも示されている神の愛に気づき、
受け入れることを
ほかでもない神ご自身が助けてくださいますように、
祈りましょう。
スポンサーサイト














管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

sebastian

Author:sebastian
僕は知的障害者です。

僕のリンク集です

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

最近の記事

国産小麦シリーズ「たいやきさん」

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。