Raphael
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大勢の群衆の中にイエスさまも混じっておられます。群衆のひとりとして。フ
ィリピ2章6~8節を引用します。《キリストは、神の身分でありながら、神と
等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身
分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に
至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした》。
 神であるような、人間であるような、どっちつかずでなく、完全な人間になら
れました。徹底して人間の道を歩まれました。それは十字架まで続きます。スタ
ートがヨハネからの受洗でした。洗礼こそイエスさまが人間として歩む決断をさ
れた証しです。
 この世の人々に対しては、イエス・キリストが神であられることを伝えなけれ
ばなりません。なぜなら誰でもキリストは人間だと思っているからです。ヨハネ
福音書はキリストの「神性」を証言しています。
 それとともに、キリスト者に対してはキリストの「人性」を強調する必要があ
ると私は思います。その理由は、「イエスさまは神だからできた。私たちは人間
だからできない」と言ってキリストと自分を分離してしまう傾向を持つからです
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