Raphael
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 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
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 花のコンテストがありました。1番目に出場したチューリップはこう言いました。「私きれいでしょう?」。見ている人は皆、「きれいでいいな」と言いました。2番目に出場したのはゆりさんです。ゆりさんはこう言いました。「私はいい香りもするわ」。みんな「本当だ。すごいな」と言いました。3番目に出場したのはばらさんです。ばらさんはこう言いました。「美しさも香りもすべて負けないわ」。さて、最後に出場したのは、葉っぱだけで匂いもしない、見た感じもみずぼらしい、きれいでない花でした。じつはこれ、ぶどうさんでした。
 さて、審査発表の時が来ました。審査員はこう述べます。「チューリップはきれいだけれど、香りがしたほうがよかったです。ゆりさんは香りはするけれど、もう少しきれいなら良い。ばらさんはきれいだし香りも良いから一番かと思うが、とげがあるから危ない。さて、最後に出たぶどうさんは、今は何もなくて、格好が悪いけれど、しばらくしたら、素晴らしいぶどうの実をつける。実がなると、きれいな香りがするし、ぶどうの実はきれいにすると格好良くなる。それにぶどうさんはこう話してくださいました。『私を見たり、香りをかぐだけでなく、私を食べて下さい。あなたの力になります』。そう言うぶどうさんがやはり一番です」。こうしてぶどうが優勝したのでした。

 花の国のたとえ話だからまだ分かりやすかったでしょう。しかしイエス様は、いきなり人々に「私の肉を食べろ。そうすれば、永遠の命を受ける」と言われました。キリスト者として私たちはこうした言葉には慣れっこになっています。けれど先入観を抜かせば、ほとんど何でも食べる私たちにとっても、気持ち悪い話です。キリスト教がローマで迫害されたのも、儀式の中で人の肉を食べると疑われたことがあったからです。今も初めてミサに出た人が、ミサの間の「私の肉を食べなさい」「私の血を飲みなさい」と言いながら行う司祭の言葉や仕草にショックを受けるということがたまにあります。まして、さまざまな食物規定によって、一つひとつこれは食べられる、食べられないと厳格に区別して、食べるということにとても神経を使っていたユダヤ人のことです。実にひどい話、大きな躓きだったでしょう。そのため聞いた人々の間で激しい議論が起こった上、弟子の多くは、イエス様の下を離れ去ってしまいました。
 しかしまさにイエス様は、花の国のぶどうのように、自分をすべて人の救いのために捧げ尽くしました。それが十字架の死です。そして今も、イエス様はご聖体として、私たちに噛み砕かれ、消化されることを望んでいるのです。それは十字架の犠牲と同じ、イエス様の愛があるからです。私たちの体と心の中に実際に入って、私たちが悪の誘惑に負けてしまわないよう、助けをしたい。そして道となって、真理に、永遠の命に導きたい。そのためならイエス様は自分が消え去ってもいい。そんな十字架上での熱い思いは、このご聖体においても再現されています。
 自分の体を人間に差し出すという犠牲を、今も払い続けるイエス様。しかしご聖体をもらっても、自分はなんら変わらないという人もいるでしょう。それは確かにそのとおりです。神様は、イエス様を十字架にかけようとする愚かな人間の行為を止めませんでした。同じように今も、私たちに自由な心で、自分の意志をもって、選び、行動することを神様は望んでいます。それが神にかたどられた最高の命・人間の素晴らしいところだからです。だからご聖体をいただけば、自動的に、機械的に、いつも良いことを選び取り、良いほうにだけ変わる。そんなことはありません。それでは強い作用を持つ脳の薬と同じです。
 ご聖体とはそのようなものではない。しかし確実に私の中に入って、助けとなっている。私の中で、ふつふつと神の永遠の命が息づいている。実際に私たちが善い思いを持ち、よい行いができたとき、それはご聖体をいただいたことの実りです。
 一人の死をも望まなかったイエス様の十字架上での犠牲。そして今も私たちに食べられると言うとんでもない犠牲を払い続けて下さっているイエス様。そのイエス様によって、私たちはすでに、確実に、永遠の命への道を歩んでいます。私たちがイエス様を捨てない限り。
 だからこそいつも喜び、感謝し、希望し、愛し、平和を実現するために、私たちの、神様からの永遠の命を使いましょう。イエス様が勝ち取ってくださった命。無駄なこと、不平・不満・不和・不正義のために使うことがないようにしましょう。そうしていつも神様の望むことを選び取っていきましょう。
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