中国での少数民族に対する人権弾圧に抗議しようと、市民団体「フリーチベット関西」のメンバーらが、北京五輪閉幕に合わせて二十四日、神戸市中央区の東遊園地で集会を開き、続いて元町までデモ行進をした。
インターネットでの参加呼びかけに応じ、関西や名古屋の日本人を中心に約七十人が参加した。
同団体によると、中国政府によって不当に逮捕や拘束されたままのチベット人は数千人規模に上るという。代表の雲雀隆史さん(34)は集会で「五輪開催の陰で続いているチベット人やウイグル人への弾圧行為を多くの人に知ってもらいたい」とあいさつ。五輪後に国際社会の中国への関心が薄まり、人権抑圧が強化されることを懸念した。
デモ行進では「チベットに自由を」「中国政府は暴力をやめろ」と声を上げ、日本の経済援助の中止も訴えた。
参加した川西市の小学校教員(46)は「日本政府は中国に弾圧行為の中止を強く求める外交をしてほしい。外国で苦しむ少数民族について、多くの人に関心を持ってもらいたい」と話した。(金海隆至)
(8/24 22:05)
神戸の街に響く「チベットに自由を!」
【大紀元日本8月25日】24日、神戸・三ノ宮でフリーチベットデモが行われ、およそ100人(主催者発表)の参加者が、「チベットに自由を!」等のシュプレヒコールを繰り返しながら、繁華街を行進し、沿道の買い物客らの注目を集めていた。
「チベットの人権保護を訴える会」が主催したこの日のデモは、17時に神戸市役所南の東遊園地を出発し、およそ40分かけて、フラワーロードや三ノ宮センター街を行進し、中国政府によるチベット人、ウイグル人、南モンゴル人(中国では内モンゴルと呼ばれる)たちに対する人権弾圧停止を訴えた。
「少しでも多くの人に注目してもらいたい」と考えて、北京五輪の閉会式が行われる24日にデモを企画したという東大阪市の男性(34)は、「日本では、中国政府による少数民族に対する人権侵害のことが、学校ではまったく教えられないし、社会でもほとんど伝えられていない。少しでも多くの人にそのことを正しく知ってもらいたい。それがひいては、日本の社会を変える動きを作ることにもなる」と考えて、インターネットで参加を呼びかけたという。
兵庫県川西市で教育関係の仕事をしているという男性(50)は、「平和の祭典であるオリンピックが開かれている期間中にも、チベット人やウイグル人などに対する甚だしい迫害が行われているということを知り、その人たちの代わりに声を上げていかなければならない」と考えて、デモに参加したという。
男性はまた、「オリンピックが終わったら、中国に対する国際社会の注目が薄れるので、人権状況はさらに悪化するのではないかと心配だ。そうさせないためにも、今後も引き続き声を上げていきたい」と決意を新たにしていた。
この日のデモは、「チベットの人権保護を訴える会」の主催ではあったが、中国政府から人権弾圧を受けているすべての少数民族の人たちの人権保護を訴えるのが目的で、「フリーウイグル!」「南モンゴルに自由を!」等のシュプレヒコールも聞かれ、チベット亡命政府の旗(雪山獅子旗)の他、青地に白の三日月と五角星を配した東トルキスタン亡命政府の旗(キョック・バイラック)や内モンゴル独立運動の旗(モンゴル自由連盟党党旗)なども見られた。
モンゴル自由連盟党の幹事長オノホルド・ダイチンさんは、現在、南モンゴルでは、中国政府の遊牧禁止政策によって、土地を奪われ、強制的に町に移住させられたり、自分たちの民族の教育を受ける権利を剥奪されたり等、ひどい人権侵害が行われている実態を紹介した上で、「人権は誰かが与えてくれるものではなく、自分たちで勝ち取るものだ。中国政府に頼っていたのでは人権状況は改善されるはずがないし、中国国内の人たちだけで勝ち取ることは難しい。世界の人たちの支援が必要だ」と国際社会に支援を訴えた。
デモ行進スタートに当たって挨拶するモンゴル自由連盟党幹事長のダイチンさん(写真=瀬戸/大紀元)
好天に恵まれた日曜日とあって、三ノ宮界隈は買い物やレジャーに訪れた人でにぎわっており、突然現れたフリーチベットデモに、多くの人がしばし足を止めて、力強いシュプレヒコールに耳を傾けていた。
デモ行進がゴールに到着し、流れ解散となった後、先の川西市の男性がやってきて話したことばが印象的であった。
「日本はこのまま黙っていたら、人事ではなくなる。中国国内の少数民族に起こっている事態が、そのうち台湾、韓国、日本などの周辺各国にも波及してくる。我々がしっかりしなければならない。」
在位1903年-1914年
ピオは、イタリアのヴェネチアの近く、リエーゼの農家に生まれた。村の学校を出た後、1850年にパドアの神学校に入り、58年に司祭となった。その後、マントヴァの司教、枢機卿、ヴェネチアの大司教を務めた。1903年に教皇に選ばれた彼は、「すべてをキリストにおいて新たにすること」をモットーに、20世紀初頭の混乱した社会を、キリストの精神に従って建て直そうと力を尽くした。近代主義を排斥し、伝統的価値を擁護するとともに、典礼の刷新、教会法典の編纂、聖職者の教育の強化に貢献した。彼は強固な意志と知性に恵まれ、その業績と徳の高さから人々に敬われた。
しかし第一次世界大戦の勃発にあたっての平和回復のための努力は実を結ぶことなく、その心痛のため病気になって亡くなった。
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