Raphael
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


集会祈願
恵み豊かな父よ、あなたは、聖家族を模範として与えてくださいました。わたしたちが聖家族にならい、愛のきずなに結ばれて、あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

第一朗読:サムエル記(サムエル上1:20-22,24-28)

〔エルカナの妻〕ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、ハンナは行こうとせず、夫に言った。
「この子が乳離れしてから、一緒に主のみ顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう」

乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つたずさえ、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、人々は雄牛を屠り、その子を〔祭司〕エリのもとに連れて行った。

ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていた、あの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」
彼らはそこで主を礼拝した。

※紀元前11世紀頃の出来事。子供がなかったために苦しんでいたハンナの願いが聞き入れられ、男の子が生まれた。
※サムエル…後に偉大な預言者となり、サウルやダビデに油を注ぎ、王とした。

※シロ…王国成立以前、長い間、聖所が置かれたエフライムの町。
※エリ…シロの聖所に仕えていた祭司。

答唱詩篇(84:2+3,6+7,8+9)
(唱歌:しあわせなひと かみをおそれ 主のみちを あゆむもの)※
すべてを治められる神よ、
あなたの住まいは麗しい。
わたしの魂は主の庭を慕い、
心とからだは生ける神にあこがれる。※

神よ、あなたによって奮いたち、
巡礼を志す人は、
枯れた谷を通り、そこを泉に変え、
はじめの雨がそこを祝福でおおう。※

尾根から尾根へと彼らは進み、
シオンで神を仰ぎ見る。
万軍の神よ、わたしの祈りに心を留め、
ヤコブの神よ、耳を傾けてください。※

※この詩篇は、巡礼に向かう人が神殿のあるシオンをたたえる歌とも、捕囚の地にあって荒廃した神殿を思う嘆きの歌とも考えられる。いずれにせよ、神殿で神と出会い、神のもとに留まることへのあこがれを歌う。答唱句は詩篇128:1からとられている。

※はじめの雨…夏の日照りの後で降る秋の雨。耕作地のために重要な雨である。

※万軍の神…元来はイスラエルの軍勢を率いる神を意味したようであるが、多くの場合、天地万物の支配者、全能者を表す表現として用いられている。
スポンサーサイト

1992年 12月8日 無原罪の御やどりの祭日 サントメロ市(テラモ県)
聖なる都
 今日、あなたたちは、わたしの無原罪のやどりの輝きのうちに、喜びをもってわたしを仰いでいます。わたしの最愛の子らよ、あなたたちの天の母の汚れなき光に導かれて、わたしの天の香りのやさしい波についていらっしゃい。
 わたしには罪がなかったので、おん父は、特別に愛のまなざしでわたしをごらんになり、みことばは、ご自分の母としてわたしを選び、聖霊は、婚約の愛の結びでわたしと一致なさったのです。こうして、わたしは、至聖三位 一体の心臓そのもののうちに入りました。
 また、わたしには罪がなかったので、聖三位一体の神は、サタンとすべての悪霊に対する恐ろしい戦いに、わたしを総帥とし、勝利者としてお選びになりました。
 イエズスは、わたしには罪がなかったので、わたしを母として、ご自分の救いの計画に親密に参与させ、あがないのみ業の第1の協力者とされました。そして、ご自分があがない、お救いになった全人類をわたしの子どもとしておまかせになりました。
 それで、わたしは全人類の母となったのです。新しいエヴァであるわたしの計画と、母としてのわたしの使命は、全人類を神との完全な一致へとつれ戻すことです。そのためにわたしは、人類が恵みと聖徳に生まれて成長するのを助けてあげます。
 それで、罪と悪の暗い影をあなたたちの教会と人類から遠ざけるという重要な役目をわたしはもっています。それは、あなたたちをみな純潔と愛とからなる聖なる都につれもどすためです。
 この聖なる都の光は、おん父の輝きそのものです。この都を暖める太陽は、汚れなき小羊であって、そのみ心からは、愛と火の燃える光線が出ています。その呼吸は、聖霊の息吹です。この息吹こそ、すべての被造物に命を与え、活かされている造られたすべてのものは、光栄のその讃歌をもって、天のメロディーを奏でるのです。
 これが、あなたたちの天の母にまかせられた使命です。

 ――聖なる都は、まず第1に、わたしのすべての子らの心と霊魂とに、つまりかれらの生活に実現しなければなりません。
 それが実現するのは、あなたたちが、悪と邪欲とのあらゆる誘いにうち勝って、神の愛に働く場所を与えるときです。神のこの愛は、神の命とのたえまない一致のうちに生きるように、あなたたちを導きます。
 こうして、あなたたちは、罪の奴れい制度から解放されて、アダムが蛇の誘いに負けて最初の罪を犯す以前の、かれの当然な生活状態だった恵みと純潔と喜びの体験へとつれ戻されるのです。
 そのときあなたたちは、天国からわき出る泉から飲むでしょう。悪と悪魔に対する勝利者となり、あなたたちは、主が準備してくださった宝を得て、いと高きおん者の子となるでしょう。
 「すると玉座に座るお方は、“わたしは、すべてを新たにする”といわれ、また、“わたしがいうことは、確かであり、真実である。わたしは、アルファとオメガ、最初の者と最後の者である。
 渇く者には、無償で命の水の泉をのませる。勝つ者は、そのすべてを受ける。わたしは、かれらの神となり、かれらは、わたしの子となる”。」(黙示録21・5‐7)

 ――聖なる都はまた、すべての人間的な弱さを清められ、不忠実と棄教との汚れから解放され、その苦しい受難と血ぬ られた犠牲によって聖化された教会の中に、輝かねばならないのです。そのとき教会は、汚れなきあなたたちの母のように、汚れもしみもなく完全に美しいものとなるでしょう。
 清められ、完全に新たにされた教会の中には、キリストの光だけが、その偉大な力によって輝くでしょう。教会は、その光を地上のいたる所に広めるでしょう。こうして、すべての民族は、至聖三位 一体の完全な光栄のために教会に走せ寄るでしょう。
 「霊は、ひじょうに高い山にわたしをつれて行き、天使は、主の聖なる都イエルザレムをわたしにみせた。その都は、天から、神のみもとから下っていた。その都は神の光栄をもち、その輝きは、貴い宝石に似て、水晶のようにすきとおった碧玉 のようであった。(黙示録21・10‐11)
 都は太陽や月に照らされる必要はない。神の光栄がそれを照らし、小羊がその“あかり”だからである。異邦人は、その光のうちを歩み、地上の王たちは、自分の宝を持ちよる。都の門は、1日中決して閉じられることなく、ここには夜はもうないだろう。
 異邦人の富と栄華とは、ここにもたらされる。清くない者、いとわしい者、偽りを行う者は、誰もここに入れない。ただ小羊の命の書にかかれている者だけが入ることができる。(黙示録21・23‐27)」

 ――聖なる都は、最後に人類が清めと大艱難との恐ろしい天罰によって、サタンと罪と悪との奴れい制度から完全に解放されてのち、あがなわれ、救われた人類を受け入れねばなりません。
 これら最後の時代に、悪魔の普遍的な重いくびきのもとに生きているあなたたちは、激しさをます悪魔とそのすべての悪霊の強力な軍隊との戦いにおいて、血まみれになるでしょう。
 こうして、悪魔にうち勝つ太陽に包まれた婦人であるわたしが、大きな龍をつなぎ、かれを火の淵に投げ入れるという役目を、どのように実現するかがわかるでしょう。巨大な龍は、世界に害を加えるために、もうその火の淵から出ることができないでしょう。
 世界は、キリストが治めるでしょう。イエズスは、全被造物をご自分の新しい地上の楽園の完全な輝きの中にとり戻すために、光栄のうちにもどられるでしょう。
 罪を犯した町は、もうすでに消えうせ、全被造物は、天から下った聖なる都、新しいイエルザレムを受け入れるために心を開くでしょう。この都は、神が人間と共にいつまでもお住みになる町です。
 「それからわたしは、新しい天と新しい地とを見た。前の天と前の地とはすぎ去り、海ももうない。わたしは、聖なる都、新しいイエルザレムが花むこのために装った花よめのように、天から、神のみもとからくだるのを見た。
 そのとき、わたしは、玉座からでる大声がこういうのを聞いた。
 人とともにある神の幕屋がこれである。神は人とご自分の住居を定められる。人は神の民となり、“人とともにある神であるかれ”は、人の神となられる。神は人間の目の涙をすべてぬ ぐわれ、死ももうなく、悲しみも、叫びも、苦労もなくなる。なぜなら、前のものがすぎ去ったからである。」(黙示録21・1‐4)

 最愛の子らよ、あなたたちは今日、わたしの無原罪のやどりの輝きの内にわたしを仰いでいます。あなたたちの天の母の魅力にひかれるままに、わたしの芳しい香りの波に従ってわたしについてきなさい。それは、この最後のときに、あなたたちがあじわっている苦しい清めと大艱難の終わりに、天からくだる聖なる都を、わたしとともに迎えることができるためです。

484
1992年 12月24日 聖夜 ドンゴ(コモ県)
あかつきの星
 最愛の子らよ、わたしと共にこの聖夜の深い奥義に入りなさい。この聖夜をあなたたちの天の母と、わたしの最も清い夫ヨゼフの側にすごしなさい。沈黙と祈り、けんそんと潔白、そして愛のうちに過ごしなさい。
 わたしは、あなたたちが、天のわたしの子の誕生に先立つこの最後の瞬間の、あの鼓動を感じることができるように、わたしの汚れなき心の戸を開いて、なかに入れてあげましょう。
 この聖夜に、母となるわたしの心の鼓動のすべて、期待の溜め息、希望の嘆き、愛の火花、やすらぐ祈り、おん父との語らい、そして霊の恍惚のうちに、わたしは天国に生きる深い脱魂状態に高められます。わたしは、天国がすべてこの貧しい洞穴の中にとじこめられているのを見ます。
 夜がすべてのものを包み、深い暗闇が世界を覆うとき、あなたたちの天の母は、非常に強い光にひたされます。わたしの精神は、永遠の知恵の輝きに包まれ、わたしの心は愛の最も強い輝きに開かれ、わたしの魂は、完全な恵みと聖徳の光線にさし貫かれ、清いおとめであるわたしの体は、神であるわたしの子をあたえるために開かれます。
 深い暗闇のこの夜に、生まれたばかりの神であるわが子を、母であるわたしの腕から、粗末な馬ぶねの中によこたえます。
 空には星が光りかがやき、天使たちが天のメロディーを響かせ、羊飼いたちは、単純で貧しく、心の清い人たちの贈り物をたずさえて洞穴に辿りつきます。
 このように幼いイエズスは、すべての名高い人たちに拒絶されても、小さな人々から受ける愛によって慰められています。
 世界を包む深い暗闇のうちに、あかつきの星は、その光をあなたたちに注ぐために現れます。
 神であるわたしの子は、おん父とひとつの光をもって輝き、世界と歴史の砂漠にその御命をもたらして、贖われ、救われた人類のために新しい1日をはじめるあかつきの星です。
 「すべての人を照らすまことの光は、この世に来ようとしていた。かれは世にあり、世はかれによってつくられたが、世はかれを知らなかった。かれはご自分の家に来られたが、その人々はうけいれなかった。しかし、かれをうけいれた人々には、みな、神の子となる権能をさずけた。(ヨハネ1・9‐12)
 みことばは肉体となって、わたしたちのうちに住まわれた。わたしたちは、その栄光を見た。それは、御ひとり子としておん父からうけられた栄光であって、かれは、恩寵と真理とにみちておられた。(ヨハネ1・14)」

 愛する子らよ、この聖夜において、神としてのかれの輝きに浸透されて、あなたたち自身、かれの光の証人、そして使徒となりなさい。なぜなら、イエズスが、光栄のうちに戻ってこられる時が近づくにつれて、暗闇はすでにますます深くなってくるからです。
 それは、どこにでも広がってしまった信仰の不足と棄教との暗闇です。
 すでに人々の心と霊魂をくらました悪と罪との暗闇です。
 不信仰と邪欲、利己主義と傲慢、心のかたくなさと不潔の暗闇です。
 この大いなる暗闇のときに、光栄あるイエズスの第2の誕生が訪れようとしています。それは、新しい天と新しい地の黎明を照らすあかつきの星としての訪れです。
 それで、こん日あなたたちが、いつもイエズスに対して忠実を保てるように、この最後の時の大いなる戦いに、わたしと共に戦って勝利を得るように招きます。
 「この書の予言のことばを秘してはならない。時は近づいたからである。罪人はまた罪をおこない、汚れた者はまた汚れ、義人はまた義をおこない、聖人はまた聖となるように。
 わたしはまもなく、それぞれのおこないに従って払う報いをもってくる。(黙示録22・10‐12)
 勝つ者、最後までわたしの業を守る者に、わたしは、民々を支配する権利を与えよう。それは、わたしがわたしの父から受けたのとおなじものである。また、かれらにあかつきの星を与えよう。(黙示録2・26、28)
 わたしイエズスは、諸教会のために以上のことをあなたたちに宣言させようとして、わたしの使いをおくった。わたしはダヴィドの子孫、そのひこばえ、暁のかがやく星である。
 霊と花よめとは、“おいでください”という。聞く者も、“おいでください”というように。(黙示録22・16‐17)」

485
1992年 12月31日 おおみそか ルッビオ(ヴィチェンツァ県)
時のおわり
 最愛の子らよ、深い従順をもってわたしの教えをうけなさい。この年最後の夜に、これら最後の時代の予言者である天の母の言葉を聞くために祈りに専念しなさい。
 これらの時間をさわぎと放蕩のうちにではなく、沈黙と専心と観想のうちに過ごしなさい。
 わたしは、時の終わりとイエズスが光栄のうちに来られる再臨が近づいていることを何回も告げました。では、今また、聖書の中に光栄あるイエズスの来臨がすでに近く迫っていることを示すいくつかの“しるし”を理解するように助けてあげましょう。
 これらの“しるし”については、福音書と、聖ペトロと聖パウロの手紙の中にはっきり示されていて、今の時代において実現しつつあります。

 ――第1のしるしは、謬説が広められることで、その謬説は、信仰を失わせ、棄教へと導きます。
 それらの謬説は、もう福音の真理を教えることなく、人間的なまちがった説にもとづく有害な異端説を教える偽の教師と、名高い神学者たちから宣伝されます。これらの謬説が教えられる結果 、当然まことの信仰が失われ、大棄教が、どこにでも広がって行くのです。
 「あなたたちは、人にまよわされないように気をつけなさい。多くの人が〔私の名を語り、“私こそキリストだ”といって、〕おびただしい数の人を迷わすだろう。多くの偽預言者が起こって、人々をまどわすだろう。」(マタイ24・4‐5、11)
 「主の日が来る前に、まず大きな棄教がおこる」(テサロニケ後2・3)
 「あなたたちの中に、偽預言者が起つであろう。かれらは、憎むべき異端をひそかにもちこみ、自分たちをあがなった主ご自身を見すてて、すみやかに亡びを招き、多くの人々は、かれらの放蕩にみならう。こうしてかれらの〔悪事〕のために、真理の道(キリスト教の信仰)は侮辱されるであろう。かれらは、貪欲のために、たくみなことばであなたたちを利用するであろう。」(ペトロ後2・1‐3)

 ――第2のしるしは、戦争と兄弟殺しの争いの勃発です。これによって暴力と憎しみが勝ち、愛徳がいたるところでさめるでしょう。同時に、伝染病や飢餓、洪水、地震など自然の災害がますますたびかさなって起こるでしょう。
 「戦争や戦争のうわさを聞くだろう。だが心をさわがせることはない。そうなっても、しかしまだ世の終わりではない。“民は民に、国は国にさからって立ち”、諸方に飢饉と地震とがあるであろう。だが、これらはみな、もっと大きな苦しみ〔生みの苦しみ〕のはじめでしかない。不義がますにつれて、おびただしい人の愛が冷えるだろう。しかし、終わりまで耐えしのぶ人は救われる。」(マタイ24・6‐8、12‐13)

 ――第3のしるしは、イエズスとその福音に対して忠実な者としてとどまり、まことの信仰を勇ましく守る人々が受ける血まみれの迫害です。そのあいだに福音は世界中いたる所に伝えられます。
 最愛の子らよ、教会がうける大きな迫害と、そして、地上あまねく、すべての国々に福音を告げ知らせるために、近年歴代の教皇、なかでもとくに、わたしの教皇ヨハネ・パウロ2世が示している使徒的熱意について考えなさい。
 「そのとき人々は、あなたたちを困難におとしいれ、殺し、わたしの名のためにすべての民が、あなたたちを憎むだろう。そのときには、多くの人が亡び、互いに裏切り、にくみあうだろう。
 み国のこの福音が、全世界にのべ伝えられ、諸国の人々に対して証明されるだろう。そのとき、終わりが来る。」(マタイ24・9‐10、14)

 ――第4のしるしは、キリストにそむく者、すなわち、偽キリストによってなされる“あらす者のいとわしき者”〔つまり恐ろしい涜聖〕です。偽キリストは、神の聖所に入り、その玉 座に座って、自分自身を神であるかのように礼拝させるでしょう。
 「反逆者は自分を神として示し、神ととなえられるもの、崇敬される者の上に自分をたてるだろう。不法の者は、サタンの力に従ってあらわれ、偽りの奇跡と不思議とをすべて行い、〔亡びのために、〕あらゆる不義のまどわしを使うだろう。」(テサロニケ後2・4、9‐10)
 「いつか聖所に恐ろしい涜聖を犯す者を見るだろう。予言者ダニエルがいった“あらす者の、いとわしき者”が聖所に立つのを見たら、読む人はさとれ」(マタイ24・15‐16)
 最愛の子らよ、この恐ろしい涜聖が何ものであるかを理解するために、予言者ダニエルによって予言されたことを読みなさい。「ダニエル、行け、このことばは、終わりの時まで秘され、封じられているからである。おおくの人は、ためされ、白くされ、清められる。悪人は、悪をおこなう。悪人は、なに1つさとらないが、知恵者は、さとる。
 日々のいけにえが廃止され、荒廃のいとわしいものが、そこに置かれる時から教えて、1290日が経つ。それに耐えて、1335日にいたるものは、しあわせである。」(ダニエル12・9‐12)
 “日々のいけにえ”とは、ミサ聖祭がいたる所に、日の出る所から日の沈む所まで捧げられる清いそなえもののことです。
 ミサのいけにえは、イエズスが、カルヴァリオ山上で行われたいけにえを新たにします。プロテスタントの教えをうけ入れるとしたら、ミサがいけにえではなく、ただの聖なる晩餐、つまり、イエズスが、最後の晩餐のときに行われたことを記念するにすぎない、と人々はいうようになるでしょう。こうして、ミサ聖祭を捧げることが廃止されるでしょう。日々のいけにえを廃止することこそ、偽キリストが行う恐ろしい涜聖です。これは、約3年半、つまり1290日間続くでしょう。

 ――第5のしるしは、天の空にあらわれる特別な現象です。
 「日がくらみ、月は光を失い、星は空からおち、天の力がゆれうごくだろう。」(マタイ24・29)
 ファティマでのわたしの最後の出現のときに行われた太陽の奇跡は、すでに、イエズスの光栄ある再臨を準備するそれらの出来事が、実現するときに入ったことを示すものです。
 「そのとき、人の子のしるしが天にあらわれる。地上の民族はみな後悔し、人の子が権力と大いなる栄光とをおびて、空の雲にのってくだるのを見るだろう。」(マタイ24・30)

 わたしの汚れなき心に奉献されたわたしの最愛の子らよ、イエズスがその福音の中で示された以上のしるしについて、わたしは、あなたたちに教えてあげようと思ったのです。それは、そのしるしが、あなたたちが迎えているこれらの日々に、実現しつつあるからです。そのために、時の終わりのために、あなたたちを準備させるのです。
 行く年も、来る年も、大きな艱難の時代に属しています。この時には、棄教が広がり、戦争がふえ、多くの所で自然的災害が起こり、迫害が激化する一方、福音はすべての民族に告げ知らされます。やがて、空に不思議な現象が現れ、偽キリストがはっきりとその姿を現す時が、いよいよ近づいてくるのです。
 それで、わたしは、あなたたちに呼びかけます。あなたたちが勇ましく信仰を守り、しっかりした希望をもち、愛徳にもえる者としてとどまるようにと。わたしに運ばれるままになりなさい。まさにこのときのために、わたしが準備してあげたこの汚れなき心の安全な避難所に、みんな集まりなさい。あなたたちの時代のしるしを、わたしと共に読み、心の平和と信頼のうちに生きなさい。
 これらのしるしの実現そのものが、時の終わりが近いことを、そしてイエズスが光栄のうちに再臨される日が近づいていることを確実に示すものであることを、あなたたちに知らせてあげるために、わたしはいつもあなたたちと共にいます。
 「いちぢくの木から、このたとえを汲みとるがよい。その枝がやわらかくなって、葉が芽生えたら、もう夏が近いことがわかる。それと同じことで、そういうことが起こったら、事はもうせまってきた、門に近づいている〔あなたがたの解放は近い〕と知りなさい。」(マタイ24・32‐33)

1992年 12月8日 無原罪の御やどりの祭日 サントメロ市(テラモ県)
聖なる都
 今日、あなたたちは、わたしの無原罪のやどりの輝きのうちに、喜びをもってわたしを仰いでいます。わたしの最愛の子らよ、あなたたちの天の母の汚れなき光に導かれて、わたしの天の香りのやさしい波についていらっしゃい。
 わたしには罪がなかったので、おん父は、特別に愛のまなざしでわたしをごらんになり、みことばは、ご自分の母としてわたしを選び、聖霊は、婚約の愛の結びでわたしと一致なさったのです。こうして、わたしは、至聖三位 一体の心臓そのもののうちに入りました。
 また、わたしには罪がなかったので、聖三位一体の神は、サタンとすべての悪霊に対する恐ろしい戦いに、わたしを総帥とし、勝利者としてお選びになりました。
 イエズスは、わたしには罪がなかったので、わたしを母として、ご自分の救いの計画に親密に参与させ、あがないのみ業の第1の協力者とされました。そして、ご自分があがない、お救いになった全人類をわたしの子どもとしておまかせになりました。
 それで、わたしは全人類の母となったのです。新しいエヴァであるわたしの計画と、母としてのわたしの使命は、全人類を神との完全な一致へとつれ戻すことです。そのためにわたしは、人類が恵みと聖徳に生まれて成長するのを助けてあげます。
 それで、罪と悪の暗い影をあなたたちの教会と人類から遠ざけるという重要な役目をわたしはもっています。それは、あなたたちをみな純潔と愛とからなる聖なる都につれもどすためです。
 この聖なる都の光は、おん父の輝きそのものです。この都を暖める太陽は、汚れなき小羊であって、そのみ心からは、愛と火の燃える光線が出ています。その呼吸は、聖霊の息吹です。この息吹こそ、すべての被造物に命を与え、活かされている造られたすべてのものは、光栄のその讃歌をもって、天のメロディーを奏でるのです。
 これが、あなたたちの天の母にまかせられた使命です。

 ――聖なる都は、まず第1に、わたしのすべての子らの心と霊魂とに、つまりかれらの生活に実現しなければなりません。
 それが実現するのは、あなたたちが、悪と邪欲とのあらゆる誘いにうち勝って、神の愛に働く場所を与えるときです。神のこの愛は、神の命とのたえまない一致のうちに生きるように、あなたたちを導きます。
 こうして、あなたたちは、罪の奴れい制度から解放されて、アダムが蛇の誘いに負けて最初の罪を犯す以前の、かれの当然な生活状態だった恵みと純潔と喜びの体験へとつれ戻されるのです。
 そのときあなたたちは、天国からわき出る泉から飲むでしょう。悪と悪魔に対する勝利者となり、あなたたちは、主が準備してくださった宝を得て、いと高きおん者の子となるでしょう。
 「すると玉座に座るお方は、“わたしは、すべてを新たにする”といわれ、また、“わたしがいうことは、確かであり、真実である。わたしは、アルファとオメガ、最初の者と最後の者である。
 渇く者には、無償で命の水の泉をのませる。勝つ者は、そのすべてを受ける。わたしは、かれらの神となり、かれらは、わたしの子となる”。」(黙示録21・5‐7)

 ――聖なる都はまた、すべての人間的な弱さを清められ、不忠実と棄教との汚れから解放され、その苦しい受難と血ぬ られた犠牲によって聖化された教会の中に、輝かねばならないのです。そのとき教会は、汚れなきあなたたちの母のように、汚れもしみもなく完全に美しいものとなるでしょう。
 清められ、完全に新たにされた教会の中には、キリストの光だけが、その偉大な力によって輝くでしょう。教会は、その光を地上のいたる所に広めるでしょう。こうして、すべての民族は、至聖三位 一体の完全な光栄のために教会に走せ寄るでしょう。
 「霊は、ひじょうに高い山にわたしをつれて行き、天使は、主の聖なる都イエルザレムをわたしにみせた。その都は、天から、神のみもとから下っていた。その都は神の光栄をもち、その輝きは、貴い宝石に似て、水晶のようにすきとおった碧玉 のようであった。(黙示録21・10‐11)
 都は太陽や月に照らされる必要はない。神の光栄がそれを照らし、小羊がその“あかり”だからである。異邦人は、その光のうちを歩み、地上の王たちは、自分の宝を持ちよる。都の門は、1日中決して閉じられることなく、ここには夜はもうないだろう。
 異邦人の富と栄華とは、ここにもたらされる。清くない者、いとわしい者、偽りを行う者は、誰もここに入れない。ただ小羊の命の書にかかれている者だけが入ることができる。(黙示録21・23‐27)」

 ――聖なる都は、最後に人類が清めと大艱難との恐ろしい天罰によって、サタンと罪と悪との奴れい制度から完全に解放されてのち、あがなわれ、救われた人類を受け入れねばなりません。
 これら最後の時代に、悪魔の普遍的な重いくびきのもとに生きているあなたたちは、激しさをます悪魔とそのすべての悪霊の強力な軍隊との戦いにおいて、血まみれになるでしょう。
 こうして、悪魔にうち勝つ太陽に包まれた婦人であるわたしが、大きな龍をつなぎ、かれを火の淵に投げ入れるという役目を、どのように実現するかがわかるでしょう。巨大な龍は、世界に害を加えるために、もうその火の淵から出ることができないでしょう。
 世界は、キリストが治めるでしょう。イエズスは、全被造物をご自分の新しい地上の楽園の完全な輝きの中にとり戻すために、光栄のうちにもどられるでしょう。
 罪を犯した町は、もうすでに消えうせ、全被造物は、天から下った聖なる都、新しいイエルザレムを受け入れるために心を開くでしょう。この都は、神が人間と共にいつまでもお住みになる町です。
 「それからわたしは、新しい天と新しい地とを見た。前の天と前の地とはすぎ去り、海ももうない。わたしは、聖なる都、新しいイエルザレムが花むこのために装った花よめのように、天から、神のみもとからくだるのを見た。
 そのとき、わたしは、玉座からでる大声がこういうのを聞いた。
 人とともにある神の幕屋がこれである。神は人とご自分の住居を定められる。人は神の民となり、“人とともにある神であるかれ”は、人の神となられる。神は人間の目の涙をすべてぬ ぐわれ、死ももうなく、悲しみも、叫びも、苦労もなくなる。なぜなら、前のものがすぎ去ったからである。」(黙示録21・1‐4)

 最愛の子らよ、あなたたちは今日、わたしの無原罪のやどりの輝きの内にわたしを仰いでいます。あなたたちの天の母の魅力にひかれるままに、わたしの芳しい香りの波に従ってわたしについてきなさい。それは、この最後のときに、あなたたちがあじわっている苦しい清めと大艱難の終わりに、天からくだる聖なる都を、わたしとともに迎えることができるためです。

484
1992年 12月24日 聖夜 ドンゴ(コモ県)
あかつきの星
 最愛の子らよ、わたしと共にこの聖夜の深い奥義に入りなさい。この聖夜をあなたたちの天の母と、わたしの最も清い夫ヨゼフの側にすごしなさい。沈黙と祈り、けんそんと潔白、そして愛のうちに過ごしなさい。
 わたしは、あなたたちが、天のわたしの子の誕生に先立つこの最後の瞬間の、あの鼓動を感じることができるように、わたしの汚れなき心の戸を開いて、なかに入れてあげましょう。
 この聖夜に、母となるわたしの心の鼓動のすべて、期待の溜め息、希望の嘆き、愛の火花、やすらぐ祈り、おん父との語らい、そして霊の恍惚のうちに、わたしは天国に生きる深い脱魂状態に高められます。わたしは、天国がすべてこの貧しい洞穴の中にとじこめられているのを見ます。
 夜がすべてのものを包み、深い暗闇が世界を覆うとき、あなたたちの天の母は、非常に強い光にひたされます。わたしの精神は、永遠の知恵の輝きに包まれ、わたしの心は愛の最も強い輝きに開かれ、わたしの魂は、完全な恵みと聖徳の光線にさし貫かれ、清いおとめであるわたしの体は、神であるわたしの子をあたえるために開かれます。
 深い暗闇のこの夜に、生まれたばかりの神であるわが子を、母であるわたしの腕から、粗末な馬ぶねの中によこたえます。
 空には星が光りかがやき、天使たちが天のメロディーを響かせ、羊飼いたちは、単純で貧しく、心の清い人たちの贈り物をたずさえて洞穴に辿りつきます。
 このように幼いイエズスは、すべての名高い人たちに拒絶されても、小さな人々から受ける愛によって慰められています。
 世界を包む深い暗闇のうちに、あかつきの星は、その光をあなたたちに注ぐために現れます。
 神であるわたしの子は、おん父とひとつの光をもって輝き、世界と歴史の砂漠にその御命をもたらして、贖われ、救われた人類のために新しい1日をはじめるあかつきの星です。
 「すべての人を照らすまことの光は、この世に来ようとしていた。かれは世にあり、世はかれによってつくられたが、世はかれを知らなかった。かれはご自分の家に来られたが、その人々はうけいれなかった。しかし、かれをうけいれた人々には、みな、神の子となる権能をさずけた。(ヨハネ1・9‐12)
 みことばは肉体となって、わたしたちのうちに住まわれた。わたしたちは、その栄光を見た。それは、御ひとり子としておん父からうけられた栄光であって、かれは、恩寵と真理とにみちておられた。(ヨハネ1・14)」

 愛する子らよ、この聖夜において、神としてのかれの輝きに浸透されて、あなたたち自身、かれの光の証人、そして使徒となりなさい。なぜなら、イエズスが、光栄のうちに戻ってこられる時が近づくにつれて、暗闇はすでにますます深くなってくるからです。
 それは、どこにでも広がってしまった信仰の不足と棄教との暗闇です。
 すでに人々の心と霊魂をくらました悪と罪との暗闇です。
 不信仰と邪欲、利己主義と傲慢、心のかたくなさと不潔の暗闇です。
 この大いなる暗闇のときに、光栄あるイエズスの第2の誕生が訪れようとしています。それは、新しい天と新しい地の黎明を照らすあかつきの星としての訪れです。
 それで、こん日あなたたちが、いつもイエズスに対して忠実を保てるように、この最後の時の大いなる戦いに、わたしと共に戦って勝利を得るように招きます。
 「この書の予言のことばを秘してはならない。時は近づいたからである。罪人はまた罪をおこない、汚れた者はまた汚れ、義人はまた義をおこない、聖人はまた聖となるように。
 わたしはまもなく、それぞれのおこないに従って払う報いをもってくる。(黙示録22・10‐12)
 勝つ者、最後までわたしの業を守る者に、わたしは、民々を支配する権利を与えよう。それは、わたしがわたしの父から受けたのとおなじものである。また、かれらにあかつきの星を与えよう。(黙示録2・26、28)
 わたしイエズスは、諸教会のために以上のことをあなたたちに宣言させようとして、わたしの使いをおくった。わたしはダヴィドの子孫、そのひこばえ、暁のかがやく星である。
 霊と花よめとは、“おいでください”という。聞く者も、“おいでください”というように。(黙示録22・16‐17)」

485
1992年 12月31日 おおみそか ルッビオ(ヴィチェンツァ県)
時のおわり
 最愛の子らよ、深い従順をもってわたしの教えをうけなさい。この年最後の夜に、これら最後の時代の予言者である天の母の言葉を聞くために祈りに専念しなさい。
 これらの時間をさわぎと放蕩のうちにではなく、沈黙と専心と観想のうちに過ごしなさい。
 わたしは、時の終わりとイエズスが光栄のうちに来られる再臨が近づいていることを何回も告げました。では、今また、聖書の中に光栄あるイエズスの来臨がすでに近く迫っていることを示すいくつかの“しるし”を理解するように助けてあげましょう。
 これらの“しるし”については、福音書と、聖ペトロと聖パウロの手紙の中にはっきり示されていて、今の時代において実現しつつあります。

 ――第1のしるしは、謬説が広められることで、その謬説は、信仰を失わせ、棄教へと導きます。
 それらの謬説は、もう福音の真理を教えることなく、人間的なまちがった説にもとづく有害な異端説を教える偽の教師と、名高い神学者たちから宣伝されます。これらの謬説が教えられる結果 、当然まことの信仰が失われ、大棄教が、どこにでも広がって行くのです。
 「あなたたちは、人にまよわされないように気をつけなさい。多くの人が〔私の名を語り、“私こそキリストだ”といって、〕おびただしい数の人を迷わすだろう。多くの偽預言者が起こって、人々をまどわすだろう。」(マタイ24・4‐5、11)
 「主の日が来る前に、まず大きな棄教がおこる」(テサロニケ後2・3)
 「あなたたちの中に、偽預言者が起つであろう。かれらは、憎むべき異端をひそかにもちこみ、自分たちをあがなった主ご自身を見すてて、すみやかに亡びを招き、多くの人々は、かれらの放蕩にみならう。こうしてかれらの〔悪事〕のために、真理の道(キリスト教の信仰)は侮辱されるであろう。かれらは、貪欲のために、たくみなことばであなたたちを利用するであろう。」(ペトロ後2・1‐3)

 ――第2のしるしは、戦争と兄弟殺しの争いの勃発です。これによって暴力と憎しみが勝ち、愛徳がいたるところでさめるでしょう。同時に、伝染病や飢餓、洪水、地震など自然の災害がますますたびかさなって起こるでしょう。
 「戦争や戦争のうわさを聞くだろう。だが心をさわがせることはない。そうなっても、しかしまだ世の終わりではない。“民は民に、国は国にさからって立ち”、諸方に飢饉と地震とがあるであろう。だが、これらはみな、もっと大きな苦しみ〔生みの苦しみ〕のはじめでしかない。不義がますにつれて、おびただしい人の愛が冷えるだろう。しかし、終わりまで耐えしのぶ人は救われる。」(マタイ24・6‐8、12‐13)

 ――第3のしるしは、イエズスとその福音に対して忠実な者としてとどまり、まことの信仰を勇ましく守る人々が受ける血まみれの迫害です。そのあいだに福音は世界中いたる所に伝えられます。
 最愛の子らよ、教会がうける大きな迫害と、そして、地上あまねく、すべての国々に福音を告げ知らせるために、近年歴代の教皇、なかでもとくに、わたしの教皇ヨハネ・パウロ2世が示している使徒的熱意について考えなさい。
 「そのとき人々は、あなたたちを困難におとしいれ、殺し、わたしの名のためにすべての民が、あなたたちを憎むだろう。そのときには、多くの人が亡び、互いに裏切り、にくみあうだろう。
 み国のこの福音が、全世界にのべ伝えられ、諸国の人々に対して証明されるだろう。そのとき、終わりが来る。」(マタイ24・9‐10、14)

 ――第4のしるしは、キリストにそむく者、すなわち、偽キリストによってなされる“あらす者のいとわしき者”〔つまり恐ろしい涜聖〕です。偽キリストは、神の聖所に入り、その玉 座に座って、自分自身を神であるかのように礼拝させるでしょう。
 「反逆者は自分を神として示し、神ととなえられるもの、崇敬される者の上に自分をたてるだろう。不法の者は、サタンの力に従ってあらわれ、偽りの奇跡と不思議とをすべて行い、〔亡びのために、〕あらゆる不義のまどわしを使うだろう。」(テサロニケ後2・4、9‐10)
 「いつか聖所に恐ろしい涜聖を犯す者を見るだろう。予言者ダニエルがいった“あらす者の、いとわしき者”が聖所に立つのを見たら、読む人はさとれ」(マタイ24・15‐16)
 最愛の子らよ、この恐ろしい涜聖が何ものであるかを理解するために、予言者ダニエルによって予言されたことを読みなさい。「ダニエル、行け、このことばは、終わりの時まで秘され、封じられているからである。おおくの人は、ためされ、白くされ、清められる。悪人は、悪をおこなう。悪人は、なに1つさとらないが、知恵者は、さとる。
 日々のいけにえが廃止され、荒廃のいとわしいものが、そこに置かれる時から教えて、1290日が経つ。それに耐えて、1335日にいたるものは、しあわせである。」(ダニエル12・9‐12)
 “日々のいけにえ”とは、ミサ聖祭がいたる所に、日の出る所から日の沈む所まで捧げられる清いそなえもののことです。
 ミサのいけにえは、イエズスが、カルヴァリオ山上で行われたいけにえを新たにします。プロテスタントの教えをうけ入れるとしたら、ミサがいけにえではなく、ただの聖なる晩餐、つまり、イエズスが、最後の晩餐のときに行われたことを記念するにすぎない、と人々はいうようになるでしょう。こうして、ミサ聖祭を捧げることが廃止されるでしょう。日々のいけにえを廃止することこそ、偽キリストが行う恐ろしい涜聖です。これは、約3年半、つまり1290日間続くでしょう。

 ――第5のしるしは、天の空にあらわれる特別な現象です。
 「日がくらみ、月は光を失い、星は空からおち、天の力がゆれうごくだろう。」(マタイ24・29)
 ファティマでのわたしの最後の出現のときに行われた太陽の奇跡は、すでに、イエズスの光栄ある再臨を準備するそれらの出来事が、実現するときに入ったことを示すものです。
 「そのとき、人の子のしるしが天にあらわれる。地上の民族はみな後悔し、人の子が権力と大いなる栄光とをおびて、空の雲にのってくだるのを見るだろう。」(マタイ24・30)

 わたしの汚れなき心に奉献されたわたしの最愛の子らよ、イエズスがその福音の中で示された以上のしるしについて、わたしは、あなたたちに教えてあげようと思ったのです。それは、そのしるしが、あなたたちが迎えているこれらの日々に、実現しつつあるからです。そのために、時の終わりのために、あなたたちを準備させるのです。
 行く年も、来る年も、大きな艱難の時代に属しています。この時には、棄教が広がり、戦争がふえ、多くの所で自然的災害が起こり、迫害が激化する一方、福音はすべての民族に告げ知らされます。やがて、空に不思議な現象が現れ、偽キリストがはっきりとその姿を現す時が、いよいよ近づいてくるのです。
 それで、わたしは、あなたたちに呼びかけます。あなたたちが勇ましく信仰を守り、しっかりした希望をもち、愛徳にもえる者としてとどまるようにと。わたしに運ばれるままになりなさい。まさにこのときのために、わたしが準備してあげたこの汚れなき心の安全な避難所に、みんな集まりなさい。あなたたちの時代のしるしを、わたしと共に読み、心の平和と信頼のうちに生きなさい。
 これらのしるしの実現そのものが、時の終わりが近いことを、そしてイエズスが光栄のうちに再臨される日が近づいていることを確実に示すものであることを、あなたたちに知らせてあげるために、わたしはいつもあなたたちと共にいます。
 「いちぢくの木から、このたとえを汲みとるがよい。その枝がやわらかくなって、葉が芽生えたら、もう夏が近いことがわかる。それと同じことで、そういうことが起こったら、事はもうせまってきた、門に近づいている〔あなたがたの解放は近い〕と知りなさい。」(マタイ24・32‐33)


聖ヨゼフのロザリオ
このロザリオは9つの奥義から構成されています。一般のロザリオと同じく、大きく3つの奥義に分かれ、1日に一つの奥義の黙想をします。一般のロザリオを用いて同じ方法で祈りますが、3連だけ祈ります。これは聖ヨゼフの、イエズスとマリアとの御生活の30年を崇敬するためのものです。またロザリオの最後には「悔い改めの祈り」を3回唱えます。



<第一の奥義の黙想>

(1日目)

1.キリストの御託身

2.聖ヨゼフの困惑(浄配であるマリアと離縁をするかどうかを御考えになられた)

3.私達の主イエズスが、ベツレヘムで御生まれになられたこと

 

<第二の奥義の黙想>

(2日目) 

1.神殿における聖なる幼な子イエズスの奉献

2.聖家族のエジプトへの避難

3.神殿における幼な子イエズスの発見

 

 <第三の奥義の黙想>

(三日目)

1.イエズスの隠れた御生活

2.聖ヨゼフの御死去

 3.聖ヨゼフの天国での慰め

 

各ロザリオのしめくくりに「悔い改めの祈り」を3回祈り、聖ヨゼフに罪の赦免と、御憐れみを得させ給う様に懇願します。

 

<悔い改めの祈り>
「ああ天主、▲我、主の限りなくきらい給う罪をもって、限りなく愛すべき御父に背きしを深く悔やみ奉る。御子イエズス・キリストの流し給える御血の功徳によりて我が罪を赦し給え。聖寵の助けをもって今より心を改め、再び罪を犯して、御心に背くことあるまじと決心し奉る。 アーメン。」

その時ラファエルは言った:
  私があなたたちと共になした善のゆえに、
  神を祝福し、生きる全ての人々の前で神に感謝を捧げなさい。
  そうすれば、その御名が祝福され、誉め歌われるようになるからである。
  神の語られた御言葉が敬われるように示しなさい。
  そして、神に感謝を捧げるのをためらわないようにしなさい。

7 Bonum facite, et malum non inveniet vos.

  善を行ないなさい。そうすれば、悪があなたたちを捕らえることはない。

8 Bona est oratio cum ieiunio, et eleemosyna cum iustitia.
Melius est modicum cum iustitia quam plurimum cum iniquitate.
Bonum est facere eleemosynam magis quam thesauros auri condere.

  善とは、断食を伴う祈りであり、正義を伴う施しのことである。
  不正によって多くを得るよりも、正義によって僅かばかりを得るほうが、遥かに良い。
  金を蔵に蓄え込むよりは、施しを行なうほうが、一層優れた善である。


9 Eleemosyna a morte liberat
et ipsa purgat omne peccatum.
Qui faciunt eleemosynam, saturabuntur vita;

  施しは、死からの解放をもたらし、
  施しそのものによって、全ての罪が浄められる。
  施しを行なう者は、人生に潤いがもたらされる。

10 qui faciunt peccatum et iniquitatem, hostes sunt animae suae.

  罪や不当な事柄を行なう者は、自らが自身の魂の敵対者となる。

15 Ego sum Raphael, unus ex septem angelis sanctis,
qui assistimus et ingredimur ante claritatem Domini.

  私はラファエル、聖なる7位の天使たちのうちの1位の天使である。
  私たちは、主のまばゆい光輝の御前に傍立ち、その奉仕に携わる者である。


○注目の薬品株は、第一三共、中外、ロート
○第一三共は新薬だけでなく、人員削減が株高へ
○外資だけでなく日本企業もお互いに合併も。
○1兆円のパテント(特許切れ)を失うフアイザーのあせり、しかもリピトールの後継新薬としていた新型高コレステロール血症治療剤がリピトールとの併用で副作用の発生、開発中止となって二重のあせり
○ファイザー20兆円時価、武田7兆円、買収可能だから波乱もある。
○武田は1000億円以上の研究開発費、だけど能率が悪い、しかし宝の山、魅力あり。フアイザーからみてもペイする。
○第一三共も人員削減すれば魅力がある。
○これにどれだけ危機意識を持っているか
○フアイザーは何んでも出きる力があるし、危機感が迫っている。
○1兆円の利益を失うフアイザーの動向が注視される。
待降節第4主日 C【ルカ1:39ー45マリア、エリザベトを訪ねる】キリスト教会ミサ聖日礼拝説教
 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
入祭唱
主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる。

集会祈願
希望の源である神、いつもわたしたちのそばにいてくださる方、あなたのもとに集まり、キリストを待つわたしたちを、聖霊によって一つにしてください。喜びのうちに、あなたを賛美し続けることができますように。
聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

第一朗読:ゼファニヤの預言(3:14-17)
娘シオンよ、喜び叫べ。
イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。
娘エルサレムよ、心の底から喜び踊れ。
主はお前に対する裁きを退け、お前の敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主はお前の中におられる。
お前はもはや、災いを恐れることはない。

その日、人々はエルサレムに向かって言う。
「シオンよ、恐れるな、力なく手を垂れるな。
お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし
お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」

※ゼファニヤは紀元前7世紀、ヨシヤ王の時代の預言者。エルサレムの罪を糾弾し、そこに下される罰を告げた。しかし、この書の結びは、神が王となり、民の中に来られる救いを預言する。

※喜び…待降節第三主日は「喜びの主日」ともいわれる。主がすぐそばに来ておられる喜びは、今日の三つの朗読に共通している。

答唱詩篇(イザヤ12:2,4,5,6)
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。
神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。
※よろこびに こころをはずませ すくいのいずみからみずをくむ

神をたたえ、その名を呼ぼう。
神のわざをすべての民に伝え、その名の誉れを語り告げよう。※

神は不思議なわざを成しとげられた。
神をほめ歌い、そのわざを世界にのべ伝えよう。※

イスラエルの聖なるかたはおまえたちの中で偉大。
シオンに住む者は声をあげて喜び歌え。※

使徒パウロのフィリピの教会への手紙(4:4-7)
(皆さん、)主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

※パウロは獄中にありながら、主に希望を置き、喜びに満ちたこの手紙を書いた。

アレルヤ唱(イザヤ61:1)
アレルヤ アレルヤ 神の霊はわたしの上にある 貧しい人に福音を告げるため 神はわたしを選ばれた アレルヤ アレルヤ
地方やヨーグルトの歴史が違うと、種として使われるヨーグルトに含まれる菌の種類が違うので、出来上がりも違って来る。また、使う乳のタイプにより成分が異なるため出来上がりも違う。たとえば、水牛乳は牛乳に比べて乳脂肪の割合が多いのでより濃厚なヨーグルトになる。また、表面にクリームの層が出来、その部分がまた好まれたりする。

素焼きの入れ物に入れて作り、そのまま素焼きの器ごと販売する場所が多いのは、菌がバランスを崩さすに生きるのを助けるためだと思われる。この場合常温のまま販売される。また、素焼きの器は多孔質なので、水分が適度に抜けてヨーグルトがほどよく濃縮されるという効果がある。
いつくしみの祭日の前のノヴェナ
 主イエズスは、シスター・ファウスティナにいつくしみの祭日に備えてノヴェナを行なうように命じた時、こう言われました。「この九日間に、あなたがわたしのいつくしみの泉に人々の魂を連れてくることを求める。この魂が、人生の苦難の時、特に臨終の時に必要としている力と安らぎ、そしてあらゆる恵みを汲むために。一日毎に、わたしの示す霊魂のグループをわたしの心に連れてきて、その人たちをこのいつくしみの海に浸しなさい。わたしは、このすべての魂をわたしの父の家に導き入れる。あなたは、この世においても、または来るべき世においてもこれを行いなさい。わたしのいつくしみの泉に導き入れる魂の願い事を拒むものは何もない。あなたは毎日、この霊魂のための恵みをわたしの辛い受難によってわたしの父に願いなさい」(1209)。

第一日
 「今日、全人類、特にすべての罪人をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみの海に浸しなさい。そうすれば、あなたは失われた霊魂のために苦しい悲しみに沈んでいるわたしを慰めるあろう。
いつくしみ深いイエズスよ、あなたは憐れみとゆるしそのものです。わたしたちの罪ではなく、あなたの限りない善意へのわたしたちの信頼を顧みて、その憐れみ深い御心にわたしたち一人ひとりを受け入れ、わたしたちがいつまでもそこに留まることができますように。あなたと御父と聖霊とを結ぶ愛によってお願いいたします。
 永遠の父よ、イエズスの憐れみ深い御心に留まる全人類、特にあわれな罪人をいつくしみ深いまなざしで顧み、イエズスの苦しいご受難によって、わたしたちにいつくしみを注いでください。わたしたちがあなたの偉大ないつくしみをとこしえにほめたたえることができますように。アーメン。」
 (神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第二日
 「今日、司祭や修道者をわたしのもとに連れてきて、わたしのはかり知れないいつくしみに浸しなさい。彼らは、苦しい受難を耐え忍ぶために、わたしに力を与えた。水が水路を通して流されるように、わたしのいつくしみが彼らを通して流されている。
 いつくしみ深いイエズスよ、あなたはすべての善の源です。わたしたちがあなたの御心に適ういつくしみの行いを成し遂げられるように、わたしたちを恵みで満たしてください。わたしたちを見るすべての人が、天におられるいつくしみの御父をほめたたえますように。

 永遠の父よ、あなたのぶどう畑において選ばれたもの、司祭と修道者をいつくしみ深いまなざしで顧み、彼らにあなたの祝福の力をお与えください。彼らは御子の御心に留まっていますから、御心の思いやりによって彼らにあなたの力と光をお与えください。彼らが他の人を救いの道に導くことができ、共にあなたのはかり知れないいつくしみの賛美をとこしえに歌い続けることができますように。アーメン。」

(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第三日
 「今日、すべての信仰深い忠実な人々をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみの海に浸しなさい。この人々は、十字架の道の途上でのわたしの慰め、海のように大きいな悲哀の中での慰めのしずくであった。
 いつくしみ深いイエズスよ、あなたはいつくしみの宝庫から、すべての人々に恵みをあふれるほどに与えてくださいます。あなたの憐れみ深い御心にわたしたちを受け入れ、わたしたちがいつまでもそこに留まれますように。天の父に対して燃えているあなたの御心のはかり知れない愛によってお願いいたします。
 永遠の父よ、あなたの御子の相続人である忠実な人々を、いつくしみ深いまなざしで顧みてください。御子の苦しいご受難によって、彼らを祝福し、いつも保護してください。彼らが、愛と聖なる信仰の宝を失うことなく、天使と聖人の群と共に、あなたのはかり知れないいつくしみをとこしえに賛美できますように。アーメン。」

(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第四日
 「今日、異教徒とわたしをまだ知らない人々を、わたしのもとに連れてきなさい。辛い受難のさなかに彼らについて考えていた。彼らの未来の熱心さがわたしの心の慰めであった。彼らをわたしのいつくしみの海に浸しなさい。
 憐れみ深いイエズスよ、あなたは全世界を照らす光です。あなたをまだ知らない異教徒をあなたの憐れみ深い御心に受け入れてください。彼らもわたしたちと共にあなたの偉大ないつくしみをたたえ、いつまでも御心に留まれますように、彼らをあなたの光で照らしてください。
 永遠の父よ、イエズスのいつくしみ深い御心に留まっている異教徒とあなたをまだ知らない人々をいつくしみ深いまなざしで顧み、福音の光に引き寄せてください。彼らはあなたを愛する幸福の大きさをまだ知りません。彼らも、あなたのいつくしみの寛大さをとこしえにほめたたえることができますように。アーメン。」

(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第五日
 「今日、離れた兄弟たちの霊魂をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみの海に浸しなさい。辛い受難の時、彼らはわたしの体と心、すなわちわたしの教会を引き裂いていた。彼らが教会との一致に戻る際に、わたしの傷が癒される。そうすれば、彼らがわたしの受難を和らげる。
 いつくしみ深いイエズスよ、あなたは善そのものであり、求める人々に光を拒まれません。離れた兄弟たちの霊魂をあなたの憐れみ深い御心に受け入れ、彼らをあなたの光によって教会との一致へと引き寄せて下さい。彼らが、あなたの憐れみ深い御心にいつも留まり、あなたのいつくしみの寛大さをほめたたえることができるようにしてください。
 永遠の父よ、わたしたちの離れた兄弟たち、特に自分の誤りの中に頑なに留まって、あなたの賜を無駄に使い、あなたの恵みを悪用した兄弟たちの霊魂をいつくしみ深いまなざしで顧みてください。彼らの誤りではなく、彼らのために辛い受難を受けた御子の愛を顧みてください。彼らも、イエズスの憐れみ深い御心に留まっているからです。彼らも、あなたの偉大ないつくしみをとこしえにほめたたえることができるようにしてください。アーメン。」

(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第六日
 「今日、柔和で謙遜な人々や幼子の霊魂をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみに浸しなさい。彼らは、わたしの心に最もよく似ている。彼らは、最も辛い受難において、わたしを励ました。わたしは、わたしの祭壇のもとで祈る地上の天使として彼らを見た。彼らの上に、大河のように豊かに恵みを注いでいる。ただ謙遜な人だけが、わたしの恵みを受け入れることができる。謙遜な人にわたしの信頼を置く。
 いつくしみ深いイエズスよ、あなたは「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい」と言われました。柔和で謙遜な人々や幼子の霊魂をあなたの憐れみ深い御心に受け入れてください。彼らは、天国全体を魅了し、天の御父が特別に好まれる者です。彼らは、神の玉座の前のすばらしい香りの花束のように、神ご自身をその香りで楽しませています。彼らは、あなたの憐れみ深い御心に永久に留まり、愛といつくしみの讃歌をとこしえに歌っています。
 永遠の父よ、憐れみ深いイエズスの御心に留まっている柔和で謙遜な人々や幼子をいつくしみ深いまなざしで顧みてください。彼らは、あなたの御子に最もよく似ています。彼らの香りは、この地上から立ち昇り、あなたの玉座にまで届いています。すべての善といつくしみの父よ、彼らへのあなたの愛と彼らがあなたに与える喜びによってお願いいたします。すべての人々は共にあなたのいつくしみに賛美の歌をとこしえに歌いますように、一人ひとりを祝福してください。アーメン。」

(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)



第七日
 「今日、わたしのいつくしみを特別に礼拝し、ほめたたえる人々をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみに浸しなさい。彼らは、わたしの受難のために自分の心を深く痛めており、わたしの心を最も深く理解した。彼らは、わたしの憐れみ深い心の生きた写しである。来世において、彼らは特別な光で輝き、誰一人として地獄に落ちることはない。臨終の時に、彼ら一人ひとりをわたしは特別に守る。
 いつくしみ深いイエズスよ、あなたの心は愛そのものです。あなたのいつくしみの偉大さを特別に礼拝し、ほめたたえる人々をあなたの憐れみ深い御心に受け入れてください。彼らは、神御自身の力によって勇気づけられています。彼らは、あらゆる苦難や逆境においてもあなたのいつくしみに信頼して、前進します。彼らは、あなたと一致して、全人類の重荷を背負っています。臨終の時に、彼らは裁かれることなく、あなたのいつくしみで包まれます。
 永遠の父よ、あなたの最も偉大な特性であるはかり知れないいつくしみを崇め、ほめたたえる人々をいつくしみ深いまなざしで顧みてください。イエズスの憐れみ深い御心に留まっている彼らは、生きた福音であり、彼らの手はいつくしみの行いで満ちあふれ、喜びに満たされた心はいと高き方にいつくしみの歌を歌っています。神よ、彼らがあなたに置く希望と信頼のために彼らにいつくしみを注いでください。「わたしのはかり知れないいつくしみを礼拝する人を、生きている間に、また特に臨終の時にわたし自身が守る」というイエズスの約束が彼らにおいて実現されますように。アーメン。」

 (神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第八日
 「今日、煉獄の中に閉じ込められている霊魂をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみの深淵に浸しなさい。わたしの血の泉は彼らの灼熱の苦しみを和らげる。わたしの正義に基づいてその罪のつぐないを果たしているすべての魂をわたしは大いに愛している。あなたは、彼らの苦しみを除去することが出来る。わたしの教会の宝庫からすべての免償をとり、彼らのためにささげなさい。もしあなたが彼らの苦しみを理解したなら、絶え間なく彼らのために霊的な施しをささげ、わたしの正義に対する彼らの負債を支払っていくだろう。
 憐れみ深いイエズスよ、あなたは「いつくしみを望む」と言われました。あなたに愛されても、あなたの正義に基づいて償いを果たさなければならない煉獄の霊魂を、あなたの憐れみ深い御心に導き入れます。煉獄においてもあなたのいつくしみの力がほめたたえられるために、あなたの御心から流れ出た御血と御水の泉が、煉獄の炎を消しますように。
 永遠の父よ、イエズスの憐れみ深い御心に留まっている煉獄で苦しんでいる霊魂を、いつくしみ深いまなざしで顧みてください。あなたの御子、イエズスの苦しいご受難によって、またイエズスの至聖なるご霊魂に満ちた悲痛によってお願いいたします。あなたの正義のもとにある霊魂にいつくしみを注いでください。いつも最愛の子、イエズスの傷を通して彼らをご覧ください。あなたの善と憐れみには限りがないとわたしたちは信じています。アーメン。」

 (神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)


第九日
 「今日、なまぬるい霊魂をわたしのもとに連れてきて、わたしのいつくしみの深淵に浸しなさい。彼らはわたしに最も苦しい傷を負わせている。ゲッセマネの園で、なまぬるい霊魂のために、わたしの魂は最も大きな嫌気を感じた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と言ったのは、彼らのためであった。彼らにとって、わたしのいつくしみに寄りすがる以外に、救いの希望がない。
 憐れみ深いイエズスよ、あなたは憐れみそのものです。あなたの憐れみ深い御心になまぬるい人びとを導き入れます。死体に等しいもので、あなたに嫌気を感じさせるこの凍っている霊魂が、あなたの純粋な愛の火の中で熱くなりますように。憐れみ深いイエズスよ、あなたのいつくしみの全能によって、彼らをあなたの愛の火の中に引き寄せ、聖なる愛で満たしてください。あなたは、何でもお出来になるからです。
 永遠の父よ、イエズスの憐れみ深い御心に留まるなまぬるい人びとをいつくしみ深いまなざしで顧みてください。いつくしみの父よ、あなたの御子の辛いご受難によって、また十字架上の三時間のはげしい苦痛によってお願いいたします。彼らがあなたのいつくしみの深淵をほめたたえることが出来ますように。アーメン。」

(神のいつくしみへの祈りの花束を唱えます)




いつくしみの祭日の祝い方
 いつくしみの祭日では、いつくしみ深いイエズスのご絵が公に祝別されて崇敬を受けること、また司祭たちが「神の限りないいつくしみについて人々に語ること」を、イエズスは求めています。
 信者は、イエズスが与えたい豊かな恵みを受けるために、まずゆるしの秘跡を受けることによって(祭日の数日前でもいい)神と和解をし、この日に信頼をもって、「命の源」であるご聖体を受ける必要があります。

ゆるしと和解の秘跡
 シスター・ファウスティナの日記によると、主イエズスは、わたしたちがゆるしの秘跡を受けることによって、神のいつくしみを礼拝すると強調しています。
 シスター・ファウスティナに向かって、主イエズスはこう語ります。「わたしのいつくしみについて書き、話しなさい。慰めを探すべきところを人々に教えなさい。それは、いつくしみの裁判所である。そこでは最も偉大な奇跡が絶えず繰り返される。わたしの代理者のもとに近づき、自分の全てのみじめさを話すだけで、神のいつくしみの奇跡は完全に現れる。魂は、腐りつつある死体のようであっても、あるいは人間にとっては、復活が不可能となり、すべてが失われたようになっても、神にとっては、そうではない。神のいつくしみは完全にこの魂を復活させる」(1418)。
 「ゆるしの秘跡に近づく時、告解所には、わたし自身があなたを待っているということを意識しなさい。わたしは司祭の姿に隠れるが、魂において自分自身で働く。ここでは、みじめな魂は、いつくしみの神と出会う。このいつくしみの泉から、ただ信頼という器だけで恵みを汲むことが出来ると人々に言い伝えなさい。彼らの信頼が大きければ大き程、わたしの気前よさには限界がない」(1602)。

聖体拝領
 イエズスは、シスター・ファウスティナにこんな言葉を語りました。「わたしは、人間の霊魂と一致することを望む。霊魂と一致することは、わたしの大きな喜びである。聖体において人間のこころに入る時、わたしの手はあらゆる恵みで満たされている。この恵みを人々に与えたいが、人々はわたしを無視し、一人に残して、別のことに心を向ける。人々が愛を見きわめないために、わたしはとても悲しんでいる」(1385)。
 「ご聖体において、わたしと一致する人が少ないので、わたしはとても苦しい。わたしは人々を待っているのに、彼らはわたしに対して無関心である。わたしはこころをこめて、これほど誠実に彼らを愛しているのに、彼らはわたしを疑う。彼らにたくさんの恵みを注ぎたいのに、彼らはそれを受け入れたくない。わたしには愛といつくしみに満ちあふれるこころがあるのに、彼らは、わたしを何か死んだものように扱う」(1447)。
3. 神のいつくしみへの祈りの花束

 シスター・ファウスティナは1935年 9月13日に与えられた神秘的な体験についてこう書いています。「夕方、自分の部屋にいる時、神の怒りの天使を見ました。・・・・・・世界が必ず悔い改めて、償いをはたしますから、しばらく待ってくださるように、天使に願いましたが、神の怒りに対してわたしの願いは無力でした。その時、・・・・・・わたしは内面的に聴こえる言葉で世界のために神に願い始めました。このように祈ると、天使の無力な姿を見ました。天使は、世界が罪のために受けるべき正しい罰を与えることが出来ませんでした。かつて、これほどの内面的な力を持って祈ったことはありませんでした。・・・・・・ 翌朝、わたしたちの聖堂に入ると、こんな内面的な言葉が聞こえました。『聖堂に入る度に昨日私があなたに教えた祈りを唱えなさい。この祈りを普通のロザリオを用いて次のように唱えなさい。はじめに主の祈り・天使祝詞・信仰宣言を一回ずつ唱えてから、主の祈りの珠のところで次の言葉を唱える。「永遠の父よ、私たちと全世界の罪のゆるしのために、あなたの最愛の子、私たちの主、イエズス・キリストの御体と御血、御霊魂と神性をあなたにおささげいたします。」天使祝詞の珠のところで次の言葉を唱える。「イエズスの苦しいご受難によって、私たちと全世界にいつくしみを注いで ください。」最後に次の言葉を三回唱える。「聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、私たちと全世界を憐れんでください」』」(474 - 476)。
 後にイエズスはシスターにこう言われました。「この祈りの花束を絶えず唱えなさい。この祈りを唱える人は、誰であっても、臨終の時には偉大な憐れみを受ける。司祭は、この祈りを最後の拠り所として罪人に与える。最も罪深い人であっても、この祈りの花束を一回だけ唱えれば、私の限りないいつくしみから恵みが与えられる。私は、全世界に私のいつくしみを知ってほしい。私のいつくしみに信頼する人々に、想像もつかない恵みを与えたい」(687)。

4. 偉大な恵みの時間

 ある出現の時に、神が、主イエズスとその苦しい受難によって地球を祝福しているとシスター・ファウスティナは分かりました。「大きな光を見ました。この光のうちに父である神がおられました。この光と地球の間に十字架につけられたイエズスを見ました。神は、地球をながめようとされた時に、必ずイエズスの傷を通して見なければなりませんでした」(60)。
 福者ファウスティナの日記によるとイエズスは特に、私たちにイエズスの十字架の死を思い出させる時間、つまり三時にご自分の受難を黙想し、この受難がもたらした恵みを求めて、祈ることを望んでいます。「三時に、特に罪人のために私の憐れみを願い、そうしてほんの短い間でも私の受難、特に死ぬ時の私の孤独について黙想しなさい。この時間は、全世界のための偉大ないつくしみの時間なのである。あなたに、わたしの致命的な悲しみを悟らせる。この時間に、私の受難によって私に願う人々をわたしは誰一人拒むことがない」(1320)。
 イエズスは、この時間に十字架の道行きや聖体訪問をするように、またこれが出来なければ、その時間にいるところで短い祈りを唱えるようにシスターに言われました(1572)。わたしたちはたとえば、イエズスがシスターに教えた次の祈りを唱えることが出来ます。「わたしたちのために、イエズスの御心からいつくしみの泉として流れ出た血と水よ、あなたに信頼します」(187)。

5. 神のいつくしみを宣べ伝えること

 イエズスは、神のいつくしみを宣べ伝えるように励まして、こう言われました。「わたしは、わたしのいつくしみへの礼拝を広める人を、母が自分の赤ん坊を見守っているように一生涯見守る。そして臨終の時に、彼らにとって審判者ではなく、いつくしみ深い救い主となる」(1075)。「わたしのいつくしみを賛美し、信頼するように他の人々を励ますことによってこの礼拝を広める人々は、臨終の時に決して恐れを味わうことがない。この最後の戦いの時に、わたしのいつくしみがこの人を包む」(1540)。
 イエズスは、神のいつくしみを宣べ伝える司祭に特別な約束を与えてくださいました。「わたしの司祭たちにこう言いなさい。彼らが、わたしの限りないいつくしみについて、または、罪人のためにわたしの心にある憐れみについて語る時に、彼らの言葉を聞くかたくなな罪人が悔い改めるであろう。わたしのいつくしみを宣べ伝え、それを崇める司祭には、不思議な力を与える。彼らの言葉を祝福し、彼らの言葉を聞く人の心を動かす」(1521)。


 
クリスマスにはいつも同じような話ししかできないのですが、私とし
ては重要なことだと思うので、再度纏めておきたいと思います。

イエス・キリストが本当にお生まれになった史実としての誕生日は、
判っていません。グノーシス派の考えでは、「イエスは生まれたので
はなく、天から下ってきた存在である」とのことですが、そういう発
想も面白いなと思ってはいるのですが、やはりキリスト教としては
「生まれる」とか「宿る」(ヨハネ1:14)という発想でなければ
なりません。キリストは、神の子であるにもかかわらず、神と等しく
あることを固守することなく、人となられたのですから、「生まれる」
という形をとることはとても重要です。

たとえ誕生日が判らないとしても、その日を祝うことはキリスト教と
しては論理的必然なのです。ところが、困ったことに聖書には誕生日
が書かれていません。当時、まだカレンダーが行き渡ってない時代で
すから、誕生日が判らないのは当たり前なのですが、しかし、キリス
ト教としては、キリストの人性をはっきりさせるためにも誕生日を祝
うことが神学的にも要求されてくるのです。そこで、古代キリスト教
会の一部は、1月6日を祝うとか、その他の日を選んで誕生祭をして
いたようですが、ローマでの最大のお祭りである12月25日を踏襲
し、その日をキリストの誕生日として意味づけたローマ教会のやり方
はとても賢かったし、キリスト教の本質にもかなった結論だったと思
います。

一部のキリスト教会が12月25日を聖書的でないとして退けている
のはまったく愚かであり、おかしな結論です。聖書の権威を自分勝手
に振りかざすとこういう結論になるという典型ですから、ファンダメ
ンタルな人は、そうならないように注意してもらいたいところです。

聖書にイエスの誕生日が書かれていないことが神のメッセージであり、
それにもかかわらず誕生を祝うことがキリスト教神学としては必要な
のですから、結論としては、どの日でも良いから、教会が誕生日と決
めた日を祝えばよいのです。聖書に12月25日を祝ってはならない
と書かれているなら別ですが、何も書かれていないということは、祝
っても良いと言うことなのです。

その日が異教起源であることは、何ら問題ではありません。そもそも、
キリスト教の祭りの中で、異教起源でないものがあるでしょうか。ユ
ダヤ教の祭りもそうですが、それより古い時代の宗教が祝っていた日
とか、やり方を踏襲してるのです。イースターも受難週も、聖霊降臨
日も、すべてユダヤ教や他の宗教の記念日と一致しています。イース
ターについては、日本語と英語などの国々だけの問題となりますが、
その用語そのものが異教起源ですね。ただ、その意味づけがキリスト
教化されているということです。バプテスマも聖餐もゾロアスター教
起源である可能性が大であることは知っておくべきです。

そういうことを考えると、12月25日をクリスマスとして祝うこと
は何の問題もないことが判ってきます。むしろ、12月25日が、も
ともと太陽の誕生を祝う日であったことは、キリストの誕生とイメー
ジとしても重なることであって、とても相応しい日となっているとさ
え言えます。

12月25日は、古代のカレンダーでは冬至にあたります。一年でも
っとも暗い日ですから、ある意味ではどん底です。この呪われた日と
も言える冬至をどうしてお祝いするのかというと、それより悪くはな
らないと言うことですし、これから長くなることを意味する日でもあ
るからです。イエス・キリストの誕生も、ある意味でどん底を意味し
ています。イエスの誕生されたのは、ベツレヘムの片田舎の馬小屋の
中ですし、「客間には彼らの居場所がなかったから」(ルカ2:7)
に書かれているのは象徴的です。キリストは、これより下はないとい
う人間世界のどん底に降りてこられ、どん底の人生を歩まれたお方で
す。王侯貴族とは正反対であり、飢え、渇き、悲しみを体験され、裏
切られ、伝道は失敗し、最後に十字架に付けられて殺されるというそ
の人生は、まさにどん底以外の何ものでもありません。キリスト以上
に苦しんだ人はいません。キリスト以上に悲しんだ人もいません。キ
リスト以上に失敗した人もいません。彼はこの世のすべての苦しみと
悲しみと呪いを引き受けて死んで行かれました。そういうお方がキリ
ストであり、救い主であるということを悟ることが信仰なのです。

神はこのキリストを復活させることにより、キリストの苦難を犠牲の
捧げ物として受け入れられたことを明らかにされましたが、これによ
り、人類は救いと希望を手にしたのです。なぜなら、どんな人生経験
もキリストの苦難との関連で理解され、意味づけられ、復活への希望
が与えられるからです。

これ以上悪くなることはない。これから良くなる、明るくなる。それ
がキリストの誕生であり、クリスマスです。このどん底の日と人生に
与えられた祝福と恵みに感謝し、クリスマスをお祝いいたします。

それから、おまけですが、今年の冬至は12月21日だと思います。
この日が本来のお祝いの日だったのですが、カレンダーがずれてしま
って、今やあまりお祝いされなくなってしまいました。このずれが生
じた理由はグレゴリオ暦のせいなのですが、それはそれとして、冬至
という日も大切ですから、それなりにお祝いしてあげましょう。
○利益が出ているとすぐ売却して確定しがちで、逆に損が出ているときは、売却せずそのまま様子を見る傾向がある。
○人間は誰でも多かれ少なかれ、感情に支配されているのであり、特にお金がからんでいるときは、冷静になれず、つい感情的になって正しい判断が出来なくなる傾向が強い。
○感情的になって株式取引をすると、損きりが遅れ、利食いが早過ぎて、投資の成果が思うようにあがらなくなってしまいがちになる。
○利食いが早くなってしまう問題を解決する取引方法として、「逆指値注文方法を活用する」方法等……云々
★現物主義の右肩上がりのみを目指すこの第一三共のホルダーにとっては、連戦、連勝、失敗?には無縁、これからの資産運用の銘柄として、向こう5年、否、10年期待出来る、輝やける『キラ星」に乾杯しましょう
結論から申しますと、栄養の吸収力を高めるためには酵素を摂ることが必要不可欠であります。

キムチや納豆には酵素が多く含まれていて、燃費の良い、栄養の分解と吸収が可能になりました。

重要なことは、酵素が栄養の分解と吸収を助けてくれるだけではなく、栄養の分解と吸収しているものそのものが酵素であることです。

この酵素を体外から多く摂ることで、栄養の分解と吸収を強く促進させ、今までの食べても太らない問題の解消につながります。

価値ある酵素の意味を知ろう酵素は体の中で起こっている、あらゆる生命活動に深くかかわっています。

呼吸、筋肉動作、食べ物の消化、栄養の吸収、栄養の運搬、神経の伝達、免疫力を高める、体の修復、活性酸素を除去、体の中で起こる色々な反応をスムーズに行えるようにする物質が酵素なのです。

お酒を飲むと酔いますが、やがて醒めて行きますね。これはアルコールを酵素が水と二酸化炭素に分解して行くからです。

よって、アルコールの分解酵素が少なかったり、ない人はお酒が弱かったり、飲めなかったりします。(日本人の約4%は、まったくお酒が飲めないそうです。)

まだまだある酵素パワーの実体酵素は生物の中で物質が変化する現象を司る大切な物質です。

よくケガをしたとき、「そんなケガ、ツバをつけておけば大丈夫!」というのは正しいです。

人の唾液、涙、鼻汁には「リゾチーム」という酵素が含まれています。これは私たちの体を、外から進入する細菌から守ってくれる酵素です。

生命の誕生である受精の仕組みも酵素が活躍しています。精子の先端から酵素が放出され、その働きで精子は卵子の中へはいることができます

1個の精子が卵子の中にはいると、酵素が活性化されて卵細胞の表面に受精膜が出来、他の精子は卵子の中へ入れなくなります。

人の一生は、酵素の反応によってスタートするといえます。

夏になると綺麗に光って飛ぶ蛍、その蛍のおしりが光るのも酵素の働きによります。

生物は生きて行くために、必要な物質を取り込んで、それを分解したり合成したりして、体の中で色々な化学反応を行っています。

新しい物を取り入れて、古くなった物を外に出しています。こういった行いを代謝(新陳代謝)といいます。人の細胞は毎日2%ずつこわされ、作り直されています。この代謝を酵素が司っています。

酵素は生命に欠かせない物質なのですが、栄養素ではないために今まで注目されていませんでした。





sebastianusが

何事につけ、感謝を込めて祈りととをささげ、
 求めているものを神に打ち明けなさい。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ジュスト」が書きました。
ほか、ネットでない食べ物を洗礼しなかったの?
聖霊とかを満足せよ
と尋ねた
ヨハネは、殻を消えることのない火で焼き払われる
ヨハネは、「下着を二枚持っている者も同じようにせよ」
と答えた
「わたしたちに洗礼を受けるために来て言った」
徴税人も優れた方が来られる
と、ネズミ講が考えたの。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ネズミ講」が書きました。
そういえば、tamiyaが

キリスト教朗読 ルカによるキリスト教書 3章10~18節
 「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
とか言ってた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハム太郎」が書きました。
デルフィーヌがここまでミカエルはここで隅々っぽい洗礼したいです。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「デルフィーヌ」が書きました。
きのうキャットが、洗礼したかった。
そこで飯田さんと満足するつもりだった。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「キャット」が書きました。
第1朗読 ゼファニヤ書 3章14~17節
 娘シオンよ、喜び叫べ。
 イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。
 娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。

 主はお前に対する裁きを退け
 お前の敵を追い払われた。
 イスラエルの王なる主はお前の中におられる。
 お前はもはや、災いを恐れることはない。

 その日、人々はエルサレムに向かって言う。
 「シオンよ、恐れるな
 力なく手を垂れるな。

 お前の主なる神はお前のただ中におられ
 勇士であって勝利を与えられる。

 主はお前のゆえに喜び楽しみ
 愛によってお前を新たにし
 お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」


第2朗読 フィリピの信徒への手紙 4章4~7節
 主において常に喜びなさい。
 重ねて言います。喜びなさい。

 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。
 主はすぐ近くにおられます。

 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
 何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
 求めているものを神に打ち明けなさい。

 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、
 あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。


福音朗読 ルカによる福音書 3章10~18節
 「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、
 一枚も持たない者に分けてやれ。
 食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。

 徴税人も洗礼を受けるために来て、
 「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。

 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
 ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、
 だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、
 もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。

 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。
 「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、
 わたしよりも優れた方が来られる。
 わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。
 その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、
 麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、
 民衆に福音を告げ知らせた。
きのうは手は洗礼しなかったよ。
ではきょうインマニュエルは洗礼した。
そこできょうは値打ちに脱穀すればよかった?
そこでネコ飼いと箕洗礼したかったの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「インマニュエル」が書きました。
  そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
  民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
ペトロの手紙第2
3:3 まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに
生活してあざける者たちが現れ、あざけって、
3:4 こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父
たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わら
ないではないか。」
 「夕方のことです。
  私は自分の修室内部に、
  神の怒りの行使者である
  一位(いちみ)の天使がいることに
  気づきました。
  天使は明るい衣をつけ、
  その顔は輝いていました。
  天使の足の下には、
  ひとむらの雲があり、
  その雲から雷と稲妻が出て
  天使の両手に入っていきました。
  それから、
  それらは天使の手から出て、
  地上に触れました。」
       このヴィジョンは、ヨハネ・パウロ
     2世教皇が、大聖年に公に
     された「ファティマ第3の秘密」を
     ただちに思い起こさせます。
  「地上に、・・・・・・特にある定められた
   場所(理由があって、地名を言う
   ことができませんが)に、・・・下される
   はすである、この神の怒りのしるしを
   見たとき、私は天使に、
   『しばらく待ってください。
    そうすれば、世界は償いを
    するでしょう。」と頼みました。
    しかし、
    私のこのお願いは、
    神の怒りのみ前では、
    むなしいものでした。
    その時、私は、
    聖なる三位一体に
    気づきました。
    偉大なる三位一体の栄光は
    私の最も深い内部まで貫き
    もはや願いを繰り返して申し上げる
    勇気などありませんでした。
    けれど、同時に、私は、
    私の霊魂にお住まいになる
    イエスの恵みの力を感じました。
    この恵みをはっきりと自覚したとき、
    わたしは、瞬間的に
    神の玉座の前に召されていました。
    わたしたちの主の、神の、
    なんと偉大なこと!
    その栄光は、
    理解をはるかに超えています!
    でも、わたしは、感動にまかせて
    神の偉大さを記そうと思いません。
    なぜなら、
    私たちは皆(みな)、
    まもなく神を見るのですから。
    わたしは世界のために、
    わたしの心のうちに聞こえてくる言葉で
    神にお願いをしました」 
          (以上、日記474より)
       シスターは、この祈りが、どれほど
       偉大な効果を持つかについて、
       さらに書きます。
    「私がそのように祈り始めると、
     天使が無力になり、
     罪のゆえに下されるはずだった罰は
     もはや行われませんでした。
     わたしは、あのように内的な力で
     祈ったことはそれまでありませんでした」
        イエスは、シスター・ファウスチナに
       次のように勧められました。
    「私があなたに教えた
     神のいつくしみのチャプレットを
     絶え間なくいのりなさい」
                 (以上・日記687)

    「いったい誰に
     わたしの善意を計り知ることができよう。
     あなたのために
     わたしは自分を十字架に釘付けにさせた。
     あなたのために、
     私の聖なる心を槍で開かせ、
     そうすることによって、
     わたしは、いつくしみの恵みを
     あなたのために開いたのだ。
     来なさい。
     そして、信頼という器で、
     この泉から、
     恵みをくみあげなさい」
           (以上:日記1485)

     「私の心は、
      霊魂に対する大きないつくしみで
      あふれんばかりだ。
      とくに、あわれな罪びとに対して・・・
      わたしがかれらにとって、
      最良の父親であるということを
      彼らが理解してくれさえしたなら、・・・
      彼らのために、
      いつくしみで満ちた泉のような
      私のこころから、
      血と水が流れ出た。
      彼らのために、
      わたしは聖櫃の中に住んでいるのだ」
              (以上、日記367)
ペトロの手紙第2
2:9 主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを
罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。
2:10 特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、
そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある
者たちをそしってはばかりません。
昨日、パンダくんが
この年最後の夜に、これら最後の時代の予言者であるわたしの母の言葉を聞くために祈りに専念しなさい。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「パパイヤ」が書きました。
きょうは支配しなかった?
また光栄の黙示録も預言しなかったよ。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハーレーラビット」が書きました。
昨日、sebastianが
(黙示録22・10‐12)
 勝つ者、最後までわたしの業を守る者に、わたしは、民々を支配する六を与えよう。
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガブリエル」が書きました。
ネコ好きが

深い暗闇のこの夜に、生まれたばかりの神である六を、母であるわたしの腕から、粗末な馬ぶねの中によこたえます。
とか思ってるよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ミカエラ」が書きました。
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエルサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
ふわふわが
(黙示録22・10‐12)
 勝つ者、最後までわたしのペを守る者に、わたしは、民々を支配する権利を与えよう。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「わん」が書きました。

プロフィール

sebastian

Author:sebastian
僕は知的障害者です。

僕のリンク集です

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

最近の記事

国産小麦シリーズ「たいやきさん」

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。