Raphael
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リマの聖ローザ童貞
「我々が天に至る事が出来る十字架とは別の梯子はありません。」

 

1586年ペルーで生まれる。両親に対し非常に従順であり、聖女は常に他者を喜ばせる小さな業を行った。

非常に美しかった聖女は母親から美しい衣服を着るように勧められたが、こう答えた。「お母様、霊魂の美だけが唯一価値あるものです。」

ある裕福な若者が聖女との結婚を望み大きな邸宅や使用人を提供したが、聖女は拒絶し、貞潔を誓い、ただ天主を愛し天主に仕え奉る事のみを望んだ。

また両親が財産を失った時は毎日働きに行き、夜は裁縫をして両親を助けた。
ドミニコ会第三会員となり、また自身の美貌を損なわせるために胡椒や灰汁を用い、美しい長い黒髪を切り落とした。

聖女は病気を患いながらも貧しい者達のために献身的に働いた。
神秘家であり、また不可視の聖痕を受けていたといわれる。

 

「主よわが苦痛を増し給え。しかしてわが心中における御身の愛は弥増さん。」

 

1617年8月24日帰天。1671年8月2日、教皇クレメンス10世によって列聖。アメリカで最初の聖人となった。祝日8月23日。刺繍師、花屋、中南米の保護者。

 

<祈願>
「ああ天主よ、御身は御身への愛もて聖ローザを満たし給い、厳格なる苦行によりて彼女が世俗を離るるを可能となし給えば、彼女の取り次ぎによりて我らが現世において彼女の御跡に従い奉り、かつ天においては御身の喜びの奔流を楽しむを助け給え。」
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今から1万~1万5千年前、旧石器時代後期の人類が、みつばちの巣から蜜を取り、蜜を使って果実を煮たことが、現在のジャムの起源であるとされています。ジャムは、はるか昔から人類とともにあった最古の保存食品なのかもしれません。その後のジャムは、紀元前320年頃、かのアレクサンダー大王が東征したインドで当時貴重だった砂糖を手に入れ、本国に持ち帰り、ジャムを作って珍重したとの記録があります。ジャムが一般的に広まり始めたのは、さらに時代を下ってから。十字軍がオリエント遠征(1096~1270年)で大量の砂糖を持ち帰ったことがきっかけとなりました。




バージョンアップしたアヲハタ55ジャムの、魅力をお伝えしたくて、つくられたCMです。
突然目に飛び込んでくる、ジャムのアップはまるで抽象画のようにも見えてきます。
実はこの煮る過程で様々な工夫があるのです。そして最後に外の景色に持ちだして撮影されました。
あの山は?そう、ハワイのダイヤモンドヘッドです。
雲が山肌をゆっくり移動していく風景を見ながら、55ジャムを楽しむことができたら・・・

音楽
音楽は中塚武さん作のオリジナルです。
歌詞はスワヒリ語でうたわれています。
‘more than jam.’でおわかりになった方もいらっしゃるでしょうか。
ナレーションはDJのデイヴ・フロムさんです。




バージョンアップしたアヲハタ55ジャムの、魅力をお伝えしたくて、つくられたCMです。
ジャムの瓶をここまでクローズアップしたのは初めての試みです。
モーションコントロールという手法で撮影されたのですが、
カメラの動きも撮影時間も全てプログラミングされて、
スタートしてしばらくして、あっ地震が・・・
幸い大事には至りませんでしたが、一瞬冷やっとした現場でした。

音楽
音楽は中塚武さん作のオリジナルです。
ナレーションはDJのデイヴ・フロムさんです。
デイヴさんもご自宅で55ジャムの蓋の開けやすさを、最近実感されたそうです。


バージョンアップしたアヲハタ55ジャムの、魅力をお伝えしたくて、つくられたCMです。
突然目に飛び込んでくる、ジャムのアップはまるで抽象画のようにも見えてきます。
実はこの煮る過程で様々な工夫があるのです。
そして最後に外の景色に持ちだして撮影されました。
あの山は?そう、ハワイのダイヤモンドヘッドです。
雲が山肌をゆっくり移動していく風景を見ながら、55ジャムを楽しむことができたら・・・
音楽
音楽は中塚武さん作のオリジナルです。
歌詞はスワヒリ語でうたわれています。
‘more than jam.’でおわかりになった方もいらっしゃるでしょうか。
ナレーションはDJのデイヴ・フロムさんです。



JAMの語源は、英語の古い方言"CHAM"にあるようです。すでに使われなくなっているこの方言の意味は、「ぐちゃぐちゃ噛む」。現在、JAMを英和辞典で引いてみると、その意味は「押しつぶす」「つめこむ」とあります。やはりJAMには、昔も今も、よくそしゃくされたもの、つめこまれたもの、という意味が込められているようです。

食品としてのジャムも、その意味の通り、消化がよく、おいしさと栄養をたっぷり詰め込まれています。一方、マーマレードは、ポルトガルで最初に作られたジャムの原料がマルメロ(ポルトガル語でかりん)だったことから、これが転じて「マーマレード」になったといわれています。



日本における最初のジャムは、16世紀後半に宣教師によってもたらされたと 考えられています。当時、南蛮風を好んだとされる、かの武将織田信長はお そらく口にしたのではないでしょうか。


国内での製造記録は、今から約1世紀前の明治10年、東京の新宿にあった勧農局でのイチゴジャム試売にはじまります。その後、明治14年に長野県で缶詰のイチゴジャムが販売されており、大正5年には、ヨーロッパ視察から帰国した中島董一郎氏(のちのキユーピー・アヲハタグループ創始者)の伝授のもと、愛媛県の朝家万太郎氏によって、わが国初のマーマレードが製造されたのが、始まりだといわれています。
明治38~39年に執筆された、夏目漱石の「吾輩は猫である」の一節には、苦沙弥先生が"おれはジャムは毎日舐めるが・・・"とジャムにふれたくだりがあります。庶民にはまだまだ一般的ではなかったものの、ジャムが西洋文化の味として、一般に認識され始めた様子がうかがえます。
昭和に入ると、イギリス留学から帰国した相馬正胤氏が東京の西落合に相馬果実缶詰研究所を設立し、英国風のジャムやマーマレードの生産を開始しています。昭和10年頃になると広島では、旗道園(のちのアヲハタ株式会社)がイチゴジャムとマーマレードを製造。山口県萩の風月堂とならび、イギリス式に比べて甘味の多い、日本人好みのマーマレードを売り出しています。このころから、ジャムは一般に広く普及し、都市部と原料産地の両方で製造されるようになりました。
戦後は、学校給食のパン食でジャムに親しむ機会が増えたこと、洋風化志向となったことなどによって一段と需要が高まりました。
今日におけるジャムは、価格、品質の両面において、一般にひろく受け入れられており、スーパーのジャムコーナーのスペースをとってみても、欧米に劣らない人気ぶりがうかがえます。

【聖体】 教会生命の源 教皇ヨハネ・パウロⅡ世の教え1.司祭的共同体としての教会の真理は、秘跡を通して実現され、聖体において完成されると第二バチカン公会議は教えています。信者は、『キリスト教生活全体の泉であり、頂点である聖体の犠牲に参加して、神的生け贄を神に捧げその生け贄と共に自分自身をも捧げる』(教会憲章11番)
聖体は、キリスト教生活の泉です。聖体にあずかる事によって、真のキリスト信者として生きる動機と力を授かります。十字架上のキリストの犠牲(生け贄)が、信者にキリストの寛大な愛の力を注ぎ込みます。聖体祭儀は、私達の為に犠牲となられた神の子羊の聖体と御血で信者を養い、『その足跡を踏む』力を与えるのです。(Ⅰペトロ2.21)
聖体はキリスト教生活全体の頂点でもあります。信者は、祈り、仕事、喜び、苦しみの全てを聖体に委ねます。このようなささやかな供え物がキリストの完全な犠牲(生け贄)と一つになり、神と親しい交わりにつながる完全な礼拝を通して余すところなく、聖別され、神に捧げられます。(ヨハネ6.56~57参照)聖トマス・アクイナスが言うように聖体は、『霊的生活の中心であり、全ての秘跡が目指す目的』(神学大全Ⅲq,66,a,6)なのです。



2.『天使的博士』アクイナスは、次のようにも述べています。『この秘跡の効果は、神秘体(教会)を一つにすることである。それがなければ救いがない。救われるためには、少なくとも聖体にあずかる望みを持たねばならない』(神学大全Ⅲq,73,a,1,arg,2)これは、キリスト教生活には、不可欠であると言われたイエズスの言葉と一致します。『まことにまことに私は言う。人の子の肉を食べず、その血を飲まなければ、あなた達の中には命がない。私の肉を食べ、血を飲む人は、永遠の命を有し、終わりの日にその人々を私は、復活させる』(ヨハネ6.53~54)
イエズスがお示しになったように聖体は、来たるべき復活の印なのですが、すでに今から、それは、永遠の生命の源なのです。『永遠の命を有するだろう』とは言わず、『有している』と言われた通りです。聖体と言う食物を通してすでにキリストの永遠の生命が人間の生命に浸透し流れ込んでいるのです。



3.聖体は、各構成員が参加すべきものです。『生け贄の奉献においても聖体拝領においても、無差別にではなく、それぞれ固有な方法で、典礼行為の中で自分自身の役割を果たす』(教会憲章11番)と言う事です。参加すると言う事は、全ての『司祭的民』に共通の義務です。誰もが、生け贄の奉献と聖体に結ばれることが出来ます。しかし具体的な参加の仕方と言う点になると、教会の構成員の一人一人に、固有の役割があります。職位的司祭の役務は別ですが、それによって、共通司祭職が排除されるのではなく、逆に促進されます。それは、キリストがその記念として、聖体を祝うことを弟子達に委ねたときに計画された、特別な役務でした。その為にキリストは、叙階の秘跡を制定し、司教と司祭に(また祭壇の奉仕者としての助祭にも)権能を与えられたのです。(教会憲章11番)



4.職位的司祭職の目的は、神の民を集めることです。その結果『この民に属する全ての人が聖霊によって聖化され、「神に喜ばれる生きた聖なる供え物」(ローマ12.1)として自分を捧げる者』(司祭の役務と生活に関する教令2番)となるのです。前回述べたように共通司祭職が、霊的供え物を捧げることを目的とし、信者がそれを捧げることが出来るのは、信者が聖霊によって聖化されているからです。キリストの十字架の犠牲に生命を与えたもう聖霊(ヘブライ9.14)は、信者の供え物にも生命を与えてくださいます。



5.霊的供え物は、司祭の役割を通して、実現可能となります。『信者の霊的供え物は、司祭の役務を通して、唯一の仲介者であるキリストの供え物との一致のうちに完成するものであり、このキリストの供え物は、主御自身が来るときまで、司祭達の手によって、全教会の名において、聖体祭儀において血を流すことなく、秘跡的に捧げられる』(司祭の役務と生活に関する教令、2番)
前回述べたとおり、洗礼と堅信によって、キリスト信者は神への礼拝に『いわば職務により』参与する資格を得ています。その礼拝の中心、頂点は聖体に現存されるキリストの生け贄です。しかし聖体の奉献は、叙階された司祭を通して行われます。すなわちキリストの名において司祭の行う聖別によって、奉献が実現するのです。
このような司祭の役務のお陰で、普遍的司祭職が完成されます。これについて公会議は、聖アウグスティヌスの言葉を引用して次のように述べています。司祭の役務は、『贖われた都の全体、すなわち聖者等の集会または社会が普遍的な供え物として、我々を偉大な頭の体とするよう、受難において、我々のために自分の捧げた大司祭によって、神に捧げられること(神の国PL41,284)を目指している。』(司祭の役務と生活に関する教令、2番)



6.生け贄の奉献に続く聖体拝領は、『司祭職』を十分に発展させる為、とりわけ毎日の生活を通して、全てを供え物とするために必要な霊的力を信者に与えます。『司祭は、・・・信者達がミサの供え物において、父である神に神的供え物を奉献するよう、またこれと共に自分たちの生命の奉献をするように教える』(司祭の役務と生活に関する教令、5番)
聖体拝領は、イエズスが最後の晩餐でお命じになった新しい愛の掟の実行をも可能にします。『私があなた達を愛したように、あなた達も互いに愛し合え』(ヨハネ13.14、15.12)



7.聖体祭儀に与ることは、この一致を証言する事です。公会議は次のように教えています。『聖体の集会においてキリストの体によって養われた信者は、この最も神聖なる秘跡が適切に示し、見事に実現する神の民の一致を具体的な方法で現す』(教会憲章11番)
これは、教会の信仰が聖パウロから受け継いだ真理です。『私達が祝する祝聖の杯は、キリストの御血にあずかることではないか。私達が割くパンはキリストの体にあずかることではないか。パンは一つであるから、私達は多数であっても一体である』(Ⅰコリント10.16~17)と言うわけで、聖トマス・アクイナスは聖体を『神秘体の』一致(Ⅲ,q.72,a.3)の秘跡と理解したのです。そこで教会と聖体の関するカテケージスの締めくくりとして強調したいと思います。聖体が一致の印であれば、それは必ず信者に、家庭内で、また教会でのより良い理解を保つために必要な相互の愛と和解、秘跡の力を与えるはずである、と。(92.2.8)




我が主イエズス・キリストのいと尊き御血の連祷
主憐れみ給え ▲キリスト憐れみ給え
主憐れみ給え
キリスト我らの祈りを聴き給え ▲キリスト我らの祈りを聴き容れ給え
天主なる御父 ▲我らを憐れみ給え
天主にして世の贖い主なる御子 ▲我らを憐れみ給え
天主なる聖霊 ▲我らを憐れみ給え
唯一の天主なる聖三位 ▲我らを憐れみ給え
永遠の御父の御独り子なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
人となり給えたる天主の御言葉なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
新たにして永遠なる契約のキリストの御血 ▲我らを救い給え
ご心痛のうちに地に滴り落ちたるキリストの御血 ▲我らを救い給え
鞭打ちによりて多量に流されたるキリストの御血 ▲我らを救い給え
茨の冠によりて流されたるキリストの御血 ▲我らを救い給え
十字架の上にて溢れいでたるキリストの御血 ▲我らを救い給え
我らの救霊の代価なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
罪の赦しの条件なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
聖体の秘跡において心の糧にしてみそぎなるキリストの御血 ▲我らを救い給え
憐れみの奔流なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
悪魔に打ち勝ち給えるキリストの御血 ▲我らを救い給え
殉教者の勇気なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
証聖者の力なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
童貞者を育むキリストの御血 ▲我らを救い給え
滅びゆかんとする者の救いなるキリストの御血 ▲我らを救い給え
重荷を負える者の支えなるキリストの御血 ▲我らを救い給え
悲しむ者の慰めなるキリストの御血 ▲我らを救い給え
悔い改むる者のキリストの御血 ▲我らを救い給え
死に臨める者の助けなるキリストの御血 ▲我らを救い給え
心の平和と柔和との源なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
永遠の生命の保証なるキリストの御血 ▲我らを救い給え
煉獄より霊魂を解放するキリストの御血 ▲我らを救い給え
全ての栄えと誉れとにいともふさわしきキリストの御血 ▲我らを救い給え
世の罪を除き給う天主の子羊 ▲主、我らを赦し給え
世の罪を除き給う天主の子羊 ▲主、我らの祈りを聴き容れ給え
世の罪を除き給う天主の子羊 ▲主、我らを憐れみ給え
主よ御身は貴き御血によりて我らを罪より贖い給い ▲我らをもって主の王国をつくり給えり


祈願 ◇ 全能永遠なる天主、主は、御独り子を世の贖い主となし、その御血を我らの罪の代償と定め給いたれば、我らをして、救霊の代価なる御血をふさわしき心もて礼拝し御血の御力によりてこの世においては、もろもろの悪より逃れしめ、天においては、御血の永遠の実りにあずかるを得しめ給わんことを我らの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

Imprimater : die 14 Auguesti,1961
† Joannes S.Ito Vicarius Generalis Yokohama

※御聖体訪問の時、御ミサ後の感謝の祈りの時、あるいは、ご家庭でのお祈りの時間にご利用下さい。


聖テレーズの手紙71番からの抜粋裏切り者の悪魔は、すっかりイエズス様のものになりたいと望んでいる霊魂には、罪を犯させることが出来ないのをよく知っているので、せめて、その霊魂に『私は、罪を犯した』と信じ込ませようと懸命になるのです。この霊魂に不安を起こさせるだけでも、悪魔にとっては、すでにたいしたことがないのですが、彼の激しい怒りが静まるには、まだこれだけでは足りません。彼は、イエズス様をその愛したもう聖櫃(御聖体を受ける人の事)に入れまいとするのです。自分がこの聖所に入ることが出来ないので、せめて、これをあるじのない空っぽのものにしておきたかったのです。

ある霊魂を聖体拝領から遠ざけることに成功すれば、それは、悪魔にとって大勝利です。そしてイエズス様はお泣きになるのです! ですから、イエズス様がわざわざあなたの為に、(教会の)ご聖櫃の中にいらっしゃり、あなたのお心に入りたいと熱く望んでいらっしゃることをお考えなさい。悪魔に耳を貸してはなりません。かえって嘲っておやりなさい。そして心配せずに、平和と愛のイエズス様をお受けにいらっしゃい!

あなたに断言します。私は、御聖体を拝領する事こそ悪魔を追い払う唯一の方法だと言う事を認めたのです。何故なら、悪魔は、時間を無駄にするばかりだと分かるともうあなたには、かまわないに違いありませんから! いいえ、いいえ『聖櫃を眺めることが唯一のいこいであるような』心が御聖体をお迎えできなくなるほど、イエズス様にお背き出来ようはずがありません。イエズス様に背きその聖心を傷つけるもの、それは信頼の不足です。

あなたのお心は、イエズス様をお愛しするために、しかも熱烈にお愛しするために造られているのです。あなたの御生涯の最良の日々をとんでもない恐れの中に過ごしてしまうことがないよう、よくお祈りなさってね。私達が、イエズス様をお愛しするためには、このつかの間の人生しかありません。悪魔は、これをよく知っているので、これをつまらないことで、浪費させようとやっきになっているのです。

たびたび、そう、本当にたびたび御聖体を拝領して下さい! 癒されたいとお思いなら、そのお薬は、これしかありません。イエズス様は、あの惹きつける力をただ無駄にあなたのお心に入れたのではありません。・・・マリア様をあまりお愛ししすぎはしないかと心配なさっては、なりません。あなたは、マリア様を愛しすぎるほど、愛することは、決してお出来にならないでしょうし、イエズス様もマリア様は、ご自分のお母様ですから、とても喜んで下さるに違いありません。

※ここでテレーズが話している相手は、小心に苦しむ者に対してです。大罪を犯していないのに、些細な事に自分は罪を犯したのでは?と言う悪魔の誘惑に苦しみ、それ故に御聖体拝領から離れてしまってる人に対して、それは、誤った考えであるからイエズス様に信頼して御聖体を受けなさいと励ましているのであって、本当に大罪を犯してしまった人は、必ず許しの秘跡を受けてから御子を受けて下さい。

聖体拝領を平気で怠ってはならない
キリストに倣う(Ⅳ10.1~7)

1.邪欲と悪行を癒され、悪魔の誘いとワナとに対して、よく警戒し、一層強くなろうと思うのなら、しばしば、神の御憐れみの泉、いつくしみと清さの泉に近づかなければならない。敵は、聖体がどれほどの効果があるかを知っているので、あらゆる方法と機会をとらえて、敬虔な信仰者を出来るだけ聖体から遠ざけよう妨げようと努めている。

2.そこで、信仰者は、聖体拝領の準備をしようとする丁度その時、サタンの悪い誘いに悩まされることがある。ヨブの書(1.6,2.1)に記されているように、悪霊は、例の通り悪意を持って、神の子らを動揺させ、恐れさせ、ためらわせる。聖体拝領をまったく止めさせるか、少なくとも冷淡にならせようとして人の心にもぐり込み、神への愛を奪い、突然襲撃して信仰を奪い取る。しかしその悪巧みや淫らな暗示が、けがわらし恐ろしくても、それを重視せず、むしろその考えを相手に投げ返さなければならない。浅ましいその霊は、軽蔑と無視と嘲弄を受けるべきものである。私達を攻撃し、動揺させようとしてもその為に聖体拝領を止めてはならない。

3.時にはまた、十分な敬虔を持ちたいと思って心配しすぎたり、告解(赦しの秘跡)に不安を抱いたりして、聖体拝領をためらうこともある。この時は、知識のある人々の意見に従い、神の恵みを妨げ、霊魂の信心をこぼちさる不安と小心とを取り去らねばならない。ちょっとした不安や煩いがあっても、聖体拝領を止めることなく、出来るだけ早く告解しよう。他人から受けた過失を心から赦し、もしあなたが、誰か他の人に、過失を犯したのなら、謙遜な心を持って、赦しを願いなさい。そうすれば神は、すぐ許してくださる。

4.告解や聖体拝領を後に延期して何の役に立つだろう。出来るだけ早く、自分の心を清めよ。すぐさま毒を吐き出せ。薬を早く飲め。そうすれば、すっと爽快になるであろう。もし今日何か理由があって、聖体拝領をやめるのなら、明日は、もっと重大な理由が起こるかも知れない。こうしてあなたは、長く聖体を拝領しないことになり、聖体拝領のために、一層ふさわしくなくなる。出来るだけ早く、心を重苦しくしているものを下し、不熱心をぬぐい去れ。長く不安のうちにおり、心配な生活をし、日々のあれこれの妨げのために聖体拝領を長くしないでいると、大きな損害を受け、危険な冷淡さを必ず生むに違いない。残念なことであるが、信心の生ぬるい、心の散漫な人は、機会を見つけては、告解をのばし、聖体拝領を怠り、自分を警戒する義務を逃れようとする。

5.ああ、聖体拝領を平気で怠る人は、何と乏しい信仰と弱い愛しか持ち合わせていないことだろう。許されるのなら、毎日でも聖体拝領できるほど、清く良心を守って生活する人は、何と幸せで、神に喜ばれることであろう。時として、謙遜のために、また何か正当な理由があって、聖体を控えることがあれば、その聖体への念は褒められて良い。しかし、控える場合にも、そこにいくらかでも冷淡があるのなら、出来るだけ熱心を奮い起こすようにしなければならない。そうすれば主は、その良い望みを見て、助けてくれるだろう。

6.正当な理由がある場合にも、せめて聖体を受けたいという熱心な望みと、敬虔な意向を、持たねばならない。そうすれば、秘跡の効果を失うことはない。どんな信者でも、毎日、いつでも、なんの困難もなく、霊的に聖体を拝領して、多くの利益を得ることが出来る。定めの日には、愛と尊敬とを持って、秘跡にこもる救い主の御体を受けるが良い。その時は、自分個人の慰めよりも、神の誉れと栄光とのためにせねばならない。信者は、キリストに対する愛を奮い起こすたびに、神秘的なこの宴にあずかり、目に見えない糧を受ける。

7.しかし、祝日だけに、あるいは、習慣のためだけに、聖体に近よる人には、適当な準備のない場合がよくある。御ミサをたて、あるいは、聖体拝領をするたびに、自分を生け贄として主に捧げる者は、幸せである。



「これから、私達は、聖母を『御聖体の御母』とお呼びしよう!そして主の最初の礼拝者であった聖母の御助けを願おう。聖エイマール(御聖体の聖人)」 教皇聖ピオ10世は、この呼名を正式に認可し、これについて多くの免償を作られた。




霊的聖体拝領と聖体訪問    聖アルフォンソ・リゴリオ霊的聖体拝領



聖体訪問のたびに、霊的聖体拝領をするとよいので、霊的聖体拝領とは何か? どんな効果があるのかを説明しておこう。これは聖体拝領をしたいと言う熱い望みを持ち、実際に拝領したかのように、愛を込めて主を抱擁する事である。
主は、ある修道女に、金と銀の器を見せて、金の方には、聖体拝領を。銀の方には、霊的聖体拝領を入れておくと仰せられ、主が霊的聖体拝領をどれほど尊重し、それによって、いかに多くのお恵みをお与えになるかを悟らせてくださった。
また主は、別の修道女に、霊的聖体拝領をする度に、実際に聖体拝領をしたと同じ恵みを受けられると仰せになった。何よりもトレント公会議が霊的聖体拝領を讃えて、信者に実行するように推奨していることで十分であろう。
それゆえ敬虔な人々は、皆この霊的聖体拝領をたびたび行っている。ある福者は、多数行い、ある神父は、『良い聖体拝領の一番良い準備は、霊的聖体拝領である』と言っている。そこでイエズス・キリストへの愛に進歩したいと望む者は、少なくとも、ミサの時と聖体訪問のたびに、一回霊的聖体拝領すると良いのだが、始めと真ん中と終わりの三回すればなお良い。この信心は、考えるよりずっと有益で、そしてたやすい。一日に多数回行った, 上述の福者は、霊的聖体拝領は誰からも見られず、断食の必要もなく、指導司祭の許可もいらず、いつでもしたい時に出来、愛の行為をすればそれで良いのだと言っていた。

霊的聖体拝領の祈り


(その1)御聖体に居られる主を信じ、愛し、拝領したいと望みます。私の心に来て下さい。主を抱擁いたしますから、もう離れないでください。主イエズス・キリスト、私の心をあなたの愛で、焼き尽くしてください。主は、私への愛によって、死んでくださいましたから、私も主への愛によって、死なせてください。愛されていない愛。知られていない愛。私の希望、いつ、私を御許に引き寄せてくださるのでしょうか?  イエズス、私の宝、私の甘美な愛、いつまでも主によって燃えるように、私の心を傷つけ、燃やしてください。私達の生命、全てであるイエズスの愛、万歳! 私達に希望であるマリア、万歳!アーメン。

(その2)イエズス・キリスト、我は主が、至聖なる聖体の秘跡のうちに在す事を堅く信じ、万事に越えて主を愛し、主を受け奉らん事を望む。されど今聖体を拝領することあたわざれば霊的に我が心に降り給え。---主よ、われ主を受け奉りし如く、主によりすがりて、我が身を全く主に一致せしめ奉る。願わくは、主を離なるるを許さず、悪魔のワナより救い給え。我が心に主の愛の火を点じ、永遠に主の御為に燃ゆるを得しめ給え。アーメン

(その3)イエズスよ、主が御聖体の中におられることを信じ、全てに越えて、あなたを愛し、私の心にお迎えしたいと望んでいます。今聖体を拝領することが出来ないので、せめて霊的に拝領させて下さい。実際に拝領したように、主を抱擁し、全くあなたと一致します。あなたから、離れることが決してありませんように。

(その4)救世主イエズス・キリスト、主は、聖体をもつてかたじけなくも霊魂の糧となり給い、『我が肉を食し、我が血を飲む人は、我にとどまり我もまたこれにとどまる』とのたまえり。我は今、この幸いを得ざれども、願わくは、我が望みをみそなわし、聖寵をたれて、我が心に来たり給え。貴き聖体の御功徳によりて、信仰を強め、望徳を増し、愛熱を燃やし、もっぱら主の御為に生きながらえて、力を尽くすことを得しめ給え。


聖体訪問


友達と共にいるのは、誰にとっても楽しいことだが、この涙の谷で、友の中で最も優れた友、私達の為に何でも出来、私達を熱く愛して、いつまでもとどまっている友と共にいるのは、何にもまして、何と楽しいことだろう。御聖体において、私達は望みのままにイエズスと語り、心を打ち明け、必要を申し上げ、恵みを願うことが出来、天の王と親しく遠慮なく相談することが出来る。

『共に穴に入り、鎖を付けられた彼を見捨てなかった』(知恵の書10.13、14)とあるように牢獄にいるヨゼフを慰めるために神が恵みをもって降られた時、彼は、この上なく幸福だった。だが惨めなこの世で、私達に対する愛情と同情に満ちて、日夜実際に、私達と共に居られる人となられた神を持っているのは、それ以上の幸福である。哀れな囚人にとって、共に語り慰め、希望を与え、その惨めさを和らげようと思ってくれる情愛深い友人があると言う事は、どれほど慰めになることであろう? 聖体に居られるいつくしみ深いイエズスは、『私は世の終わりまで、いつもあなた達と共にいる』(マタイ28.20)と言って私達を元気付けられる。

『全くあなたの為に天からわざわざあなたを慰め、助け、解放するために私は、この牢に来た。喜んで私を迎え、いつも共に居て、私にしっかり結びついていなさい。そうすれば自分の惨めさを感じることなく私と共に天国に行き、そこで幸福に満たされる』と主は言われる。神よ、計り知れない愛よ。主は、私達のそばにいるために天から降って、祭壇上に居られるので、私はたびたび主を訪問し、天国の聖人達の幸福である主の甘美な現存を出来る限り、楽しみたい。主を礼拝し、愛の行為をするために、いつも御前にいることが出来たら・・・この世のことに追われて、主を訪問することを怠るのなら、どうか、私の魂を目覚めさせてください。御聖体のそば近くに居たいという熱い望みを燃やして下さい。

ああ、愛するイエズスを今までいつも愛し、お喜ばせしていたら・・・。でも来世ではむろん、この世でもまだ時間が残っていることだけが慰めです。私の愛、宝、全てよ。主を愛したい。真剣に主を愛したい。全力を尽くして愛したい。



私の聖心を焼き尽くす愛の炎を抑えきれないで、この愛の奥義である聖体の秘跡を思いついた時、この聖心が耐え忍んだ苦しみを記しておくれ。聖なる糧に養われる選ばれた霊魂を思いながらも、捧げられた多くの霊魂が、どんなに冷淡であるかも知っていた。多くの司祭の霊魂がこの聖心を傷つけること、だんだん習慣的なって、悪いことには、倦怠を感じ、疲れて気付かぬうちに生ぬるい心になってしまう。

けれども、私は、そのような霊魂を一晩中聖櫃の中で待っている。私のもとに来て私を受け、浄配としての信頼を持って話し、勧告を求め、恩寵を願うようにと切に望んでいる。ことによれば、家族の者が危険にさらされて私から遠ざかっているのかも知れない。私の元に来て、全てを打ち明けて依頼するのだ。罪人の事を気にかけて償いとして身を捧げ、今日、私を一人ぼっちにしないと約束しておくれ。

他の多くの者からも同じ事を希っている。--それなのに、聖体のうちに私を受けてもほとんど一言も語らない・・・せかせかして飽きっぽく、また気に入らない事があるとか、自分の考えにとらわれ、知人のこと、健康について恐れ・・・愛に冷淡で、くしゃくしゃした気持ちで、早く聖堂から出たい心地で--私が選んだ霊魂、夜じゅう愛に絶えきれない思いで待っていたのに、私をこのように受けるのである。

私は、本当にその心に憩い、その悩みを和らげてやりたいと待っていた。新しい恩寵も用意しておいた。それなのに、それを欲しいとも思わない。私になにも願わないどころか、自分勝手に苦情を言っている。聖体拝領の出来ないほどの大罪も無いので、形式的習慣的に来るとしか思われない。愛に迫られるでもなく、私と親しく一致したいと望むわけでもない。このような霊魂には、私が期待するような優しい愛情はない!

司祭については? ・・・今日、司祭は、祭壇で託された霊魂について、相談してくれるだろうか? 内密に打ち明けた私の受けた辱めを償うであろうか? その聖職を立派に果たす力を懇願するであろうか? 人々の救霊のために働く熱心を。 昨日にも増して今日は、もっと犠牲を捧げる勇気を、その全愛を傾けてくれるだろうか? 私の特に愛する愛しい弟子として、その心に憩うことが出来るであろうか? 『世の人々は、私の手足を傷つけ、私の顔を汚すが、この選んだ人々、私の浄配、私の司祭達は、ここ聖心を引き裂く』と、訴えなければならないこの聖心の悲しみの辛さ。

聖体は、愛の発明である。霊魂の生命と力、全ての弱さを癒す薬、またこの世から永遠への旅路の糧である。聖体拝領は、罪人に心の平和を与える。生温かい霊魂を活き活きとさせる熱である。清い心にとっては、甘い蜜であり、いつも妙なる糧である。熱心な人々はここで憩いを得、渇望をなだめることが出来る。聖なる霊魂にとっては、完徳の頂を目指して飛ぶ翼になる。捧げられた人々は、聖体のうちに、心の住みかを定め、愛の生涯をその中で送る。またその人々が求める聖き天配と親しき永遠の契り、聖なる祝された婚約の完全なる型を聖体のうちに見出すのである。by最愛のイエズス
みかん缶詰は、数ある缶詰の中で初めて日本人によって開発され、企業化された大型の商品です。キユーピーマヨネーズの創業者である中島董一郎氏が、昭和の初めに英国に紹介し、輸出したのが商品としての始まりでした。以来着実に増進、1970年代までは日本の独占商品として世界各国に盛んに輸出されていました。アヲハタ株式会社は、広島のみかんを缶詰加工する目的で、株式会社中島董商店の全額出資により株式会社旗道園として昭和7年(1932年)に創業されました。本来、缶詰事業は原料立地産業でしたので「青旗」の下に園芸に立脚した企業をイメージしての社名であったと伝えられています。創業の商品はみかん缶詰ともう一つ、オレンジママレードでありました。
創業者中島董一郎氏は、青年時代に缶詰技術と販売を修得する目的で、農商務省の実業練習生として欧米に学び、マヨネーズと共にその美味しさを是非伝えたいと思い描いたのが、オレンジママレードでした。
その大切な夢を実現するべく、当時すでに日本でも柑橘類の最優良産地であった瀬戸内に位置する当地を選びました。

自らの目でよい原料を選び、自らの技術で欧米に優る最高の品位を創出することが経営のロマンであったと思います。 果実缶詰は、原料の品種を選び、熟度と形を整えないと高品位のものを得ることはできません。 当時は機械化もできず、大変難しい加工技術でした。それぞれのシーズンごとに製品の出来映えをみて、最高の品位と思われるもののみにアヲハタ・ブランドのラベルを貼って販売しました。
アヲハタ・ブランドは、大正時代初期、中島董一郎氏がイギリス滞在中に、世界的に有名であったケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレースをよく見に行っており、その際、両校の校旗がブルー一色で大変印象的であったので、「Blue Flag」”アヲハタ”をブランド名にしたのが始まりです。

志半ばにして戦争たけなわとなり、国の企業整備法の施行により旗道園は解散となり、工場は広島県合同缶詰株式会社に整理統合されました。

1978年 10月13日 ファティマ最後の出現記念日
光の使徒たちのとき
 わたしの愛する子らよ、私は、あなたがた一人一人の側にいます。私は、無原罪の母です。
 私の汚れなき心の勝利の日はすでに訪れ、私の計画が実現しようとしています。
 このときのために、あなたがたは、私に、使徒となるための養成をうけたのです。それで、暗闇がすべてをおおいかくす時、光の使徒になってください。
 光のうちに生きなさい。
 光のなかを歩み、私の汚れなき心から放たれる光を広めに行きなさい。
 私は、もう何年も前から沈黙のうちにあなたがたを準備してきました。天の母として、あなたがたの手をとって、みちびいてあげたのです。
 私の敵が教会をくらくし、牧者たちのあいだにさえ、たくさんの被害者が出たそのときも、私は、私の心の奥に、光にみちた新しい教会を準備していたのです。
 もちろん同じ教会ですが、これは、新たにされた教会です。聖三位一体の光栄は、この教会のなかにかがやきます。そこでは、すべての人がイエズスを礼拝し、尊び、聞き、従うでしょう。
 こうして、そのとき教会は、エルサレムの高間のあのとき以来、けっしてなかったほどのすばらしい光でかがやくでしょう。

 きょう、あなたがたは、あの貧しいコヴァ・ダ・イリア〔ファティマ〕に、私がくだったことと、太陽の奇跡を記念しています。あのとき、太陽は、あたかも、私の足もとに、ひれ伏したかのようでしたが、これこそ、光をまとうあなたがたの母の勝利のときを証明していたのです。
 きょうは、“このとき”が、またあなたがたの“とき”でもあることを、私は知らせます。
 あなたがたのあかしのときです。
 あなたがたの公生活のときです。
 光の使徒たちのときです。
 どこにも、いたるところで、力づよく、何も恐れないで、真理の光を、めぐみの光を、聖徳の光を、ひろめて下さい。
 光とは、あなたがたに、愛の聖霊の働きに完全に従いながら、おん父のみもとにたどりつく道を示してくださった私のおん子イエズスの光です。
 間もなく、教会をおおいつくしたあの大きな暗闇は、あとかたもなく、消えうせるでしょう。その大きな苦しみのあとで、ついに教会の新しい誕生が、その準備をおえるのです。光の新しい教会が!……



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162
1978年 10月17日
新しい教皇ヨハネ・パウロ2世
 あなたは、天のこの母に、もっと信頼して、安心しなさい。母とともに祈り、生きるように。もうけっして恐れてはなりません。
 私は、いつも、どんなときでも、あなたの側にいて、みちびき、守っています。私が、あなたにしてほしいことは、ただ、沈黙と、祈りと、信頼だけです。私は、小さな、ささいなことをあなたに願いたい。それは、あなたが小さい者であることと、はずかしめの道をあるかねばならないことです。

 きょう、あなたは、教会の利益のために、私の心が、イエズスから受けた新しい教皇のために祈りました。かれは、私が、とくべつにいつくしむ子です。司祭になったそのはじめから自分を私の心にささげたからです。
 私の運動をするすべての司祭たちに、愛と祈りをもって心をあわせてください。教皇と、かれに従う教会を、ますます深い愛で愛するように、私じしん、かれら司祭たちを導きます。
 あなたは、祈りと愛と、忠実さをもって、教皇を支持しなければなりません。教皇が教会の利益のためにきめることを、すべて、完全に守って、かれに従順をあらわさなければなりません。この点であなたがたは、みんなのよい手本になるのです。
 私の敵は、私のかわいそうな、ある子らをいざない、教皇にそむかせ、はげしい攻撃をはじめるでしょう。そのときこそ、あなたがたは、教皇を守らなければなりません。
 み摂理は、きっと、あなたがたに教皇を与えてくださいます。かれとともに、あなたがたを――私の清い心がその偉大な勝利のために、世界じゅうからえらんだ、愛する私の子らであるあなたがたを――祝福します。
キリストの救いのわざに協力した第一人者・聖母マリアへの崇敬は、初代教会からすでに始まっていました。マリアは人間でありながらも、神の特別な恵みを受けて救い主・キリストの母となるために選ばれたこの女性の姿は、神に対する心からの従順を示すものとして、またキリスト信者の生き方の模範として、さらには父なる神に取り次いでくれる助け主として特別に崇められてきました。「神の母 聖マリア(1月1日)」「聖母の被昇天(8月15日)「無原罪の聖マリア(12月8日)」などマリアに関係のある祝日が次第に導入されるようになったこともその背景にあります。またルルド(ルルドの聖母の記念日、2月11日)やファティマ(ファティマの聖母の記念日、5月13日)をはじめ各地に聖母の出現が伝えられ、巡礼が行われるようになりました。



聖母月
 カトリック教会では、5月は聖母月としています。聖母月の信心は近世からのもので、18世紀のイタリアで盛んとなりました。この5月は、四季折々の中で春の訪れとともに自然界の実りをもっとも感じさせてくれ、また主の復活の喜びと希望に満ちた月でもあります。そのような思いをもってこの月をマリアにささげ、マリア崇敬のために祈り続ける信心が伝統としてなされてきたことは当然のように考えられます。



聖母マリアとロザリオ
 マリアに対する祈りの中でも、幾世紀にもわたって大切にされてきた信心として、ロザリオがあります。この祈りを歴代の教皇はたびたび言及し賛えています。ピオ11世教皇は「われわれが神の御母に向かって唱えるいろいろな、そして有益な祈りのうちで、聖なるロザリオは特別な、きわめて主要な地位を占めていることを知らない信者はない」(回勅『イングラヴェシェンティブス・マーリス』)といっています。また2002年10月16日に教皇ヨハネ・パウロ二世は、使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」を発表されました。「喜び、苦しみ、栄えの神秘(玄義)」に「光の神秘」を加え、この祈りを通してより豊かにイエスの生涯の神秘に触れることができるようになりました。



ロザリオの月
 ロザリオの信心は、聖ドミニコ(1170~1221)が異端と戦っている時、聖母マリアからの啓示を受けたのが始まりだとされています。さらにドミニコ会士らがこの信心の普及に尽くしたことも大きいようです。一定の形式の祈りを連続して唱える修道会での習慣が何時でも、何処でも、誰とでも自由な形でできることから次第に信徒の中に浸透してきたと考えられます。10月7日は「ロザリオの聖母」の記念日ですが、これは1571年のギリシア・レパントの海戦でキリスト教徒がオスマン・トルコ軍に対して勝利を収めたことを記念して、聖ピオ五世教皇(1566~1572)によって定められました。この勝利は、ロザリオの祈りによってもたらされた聖母の助けによるものであると信じられています。またレオ十三教皇(1878~1903)は10月を「ロザリオの月」と定めました。
みかん缶詰は、数ある缶詰の中で初めて日本人によって開発され、企業化された大型の商品です。キユーピーマヨネーズの創業者である中島董一郎氏が、昭和の初めに英国に紹介し、輸出したのが商品としての始まりでした。以来着実に増進、1970年代までは日本の独占商品として世界各国に盛んに輸出されていました。アヲハタ株式会社は、広島のみかんを缶詰加工する目的で、株式会社中島董商店の全額出資により株式会社旗道園として昭和7年(1932年)に創業されました。本来、缶詰事業は原料立地産業でしたので「青旗」の下に園芸に立脚した企業をイメージしての社名であったと伝えられています。創業の商品はみかん缶詰ともう一つ、オレンジママレードでありました。
創業者中島董一郎氏は、青年時代に缶詰技術と販売を修得する目的で、農商務省の実業練習生として欧米に学び、マヨネーズと共にその美味しさを是非伝えたいと思い描いたのが、オレンジママレードでした。
その大切な夢を実現するべく、当時すでに日本でも柑橘類の最優良産地であった瀬戸内に位置する当地を選びました。

自らの目でよい原料を選び、自らの技術で欧米に優る最高の品位を創出することが経営のロマンであったと思います。 果実缶詰は、原料の品種を選び、熟度と形を整えないと高品位のものを得ることはできません。 当時は機械化もできず、大変難しい加工技術でした。それぞれのシーズンごとに製品の出来映えをみて、最高の品位と思われるもののみにアヲハタ・ブランドのラベルを貼って販売しました。
アヲハタ・ブランドは、大正時代初期、中島董一郎氏がイギリス滞在中に、世界的に有名であったケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレースをよく見に行っており、その際、両校の校旗がブルー一色で大変印象的であったので、「Blue Flag」”アヲハタ”をブランド名にしたのが始まりです。

志半ばにして戦争たけなわとなり、国の企業整備法の施行により旗道園は解散となり、工場は広島県合同缶詰株式会社に整理統合されました。

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