Raphael
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 ゴールデンウィークが、お家のおいでの
ことが多いなら、
きっとお母さんばかりが
PCを使うことは
むりでしょうね。
ゴールデンウィーク最後の日曜日まで
土曜日から数えて、9日間ありますので、
ドモンティニ神父さまの
「心の甘美なる客ー聖霊についての黙想」のうち、
「はじめに」の部分だけを、
9回に分けて、
のせることにしました。
神父さまは、
あの本を、
ゆっくり読んでください、
急いで読まないで、と
言われていました。
また、聖霊の恵みはすでに教会に注がれているのだから
信者が、聖霊に関するご自分の本を読み、
しゃかりきになって、聖霊のことを追いかけない
ことがあっても、
それは、「信仰上の積極的な罪ではありません」と
おっしゃっておられました。
しかし、追いかければ、
より深くキリストと接することができる、と
いう意味なのでしょう。
だれもが同じ接し方をするのではない、
なぜなら、聖霊さまもまた、
すべて個人の心にあることをご存知なので、
という意味でしょう。
「聖霊は適応します」と
おっしゃっておられたのを思い出します。
キリストさまもまた、
「わたしのあとに、もっとすぐれたかたが
来られる」といわれたのですから。
わたしは未熟なものですが
未熟だからといって、
この本を紹介する資格がない、などとは
思っていません。
聖霊に甘えたい気持ちです。

ゴールデンウィークの間、
ゆっくりお休みください。
お子さんたちがいつもPCを占領している
わけではないでしょうから、
日曜日まで、毎日小分けにして
のせていく投稿も、
目をとおしていただけると嬉しいです。

ドモンティニ神父さまに会いにいったり、
愛と光の家をたずねたり、
いろんな教会に出かけるために
ビンボウぷーたろうのわたしは
まず働かないといけません。
そちらもお祈りください。
正直なところ、
みこころの部屋では、
動かずに奉仕できる可能性もありますが、
わたしばかりが投稿して
部屋の雰囲気を乱すことを
わたしは、
こわがってます。
でも、面倒な福音をよむと、
どこに中心をおけばいいのか、
なにを見つめていればいいのか、
よく教わることができると同時に
聖霊の助けがなければ
非常に困難な高い山に思えることですので
この本を、自分のためにも
書棚からひっぱりだしました。

ドモンティニ神父さまに、
お会いできるときがあったら、
よろしくお伝えください。
「臨終洗礼」のようなわたしでしたので
神父さまには、
あなたには、よく導かれることが必要です、と
愛情のこもった注意をいただきました。
スポンサーサイト
そういえば、パンダくんが
私たちの心の中にヨハネのような、感極まったブログペットによる礼拝意識ってあるでしょうか?
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「パパイヤ」が書きました。
ミカエラとかを詠んでみようと思うの「この天使存在すなる口調かな」
が書きました
と、ハーレーラビットは思ったの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハーレーラビット」が書きました。
そういえば、sebastianが
」****様々な口調による啓示や御言葉に対する希望や期待を教えられたヨハネは、感動のあまり、思わずそれを示してくれた天使にひれ伏して拝もうとしてしまいます。
って言ってたよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガブリエル」が書きました。
きょうは、ミカエラが俳句を詠んでみようと思うの

 「この天使 存在すなる 口調かな」


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ミカエラ」が書きました。
今日の聖句
2006.4.29

ヨハネの黙示録
22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見た
とき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もう
とした。
22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなた
の兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕え
る者である。神を礼拝せよ。」
****
様々な幻による啓示や御言葉に対する希望や期待を教えられたヨハネは、感動
のあまり、思わずそれを示してくれた天使にひれ伏して拝もうとしてしまいま
す。感極まってのことでしょう。
しかし、天使は厳しい口調でその礼拝を拒否します。
そして、自分のことを「信徒に対して仕えるしもべ」であることを強調して答
えています。天使は神に仕え、信じる私たちへの奉仕者として存在しているの
です。
そして、きっぱり言います。「神を礼拝せよ」と。

自分を礼拝の対象としてしまうことの恐ろしさを天使はよく知っていました。
人からほめられることはうれしいことですし、高い評価も好ましいことですが、
まるで「神」でもあるかのように拝まれてしまうことに対して天使はきっぱり
拒否しているのです。
自分を神と等しいものにしたいという願いは、誰の心にも存在する潜在的な思
いです。人から拝まれることを願う心は、そのまま人を支配する心に通じます。
礼拝の対象は「神のみ」なのだと天使は教え、聖書はそれをはっきり教えてい
ます。
ちなみに、イエス様はご自分が拝まれることを拒否してはいません。

私たちが礼拝すべき対象は、「神様」であり、イエスキリストの御名によって
父なる神様を礼拝するのです。
それにしても、私たちの心の中にヨハネのような、感極まった感動による礼拝
意識ってあるでしょうか?いつもいつも、そうである必要はないのですが、礼
拝したくてたまらないという思いで礼拝式に参加したことがありますか?
あるいは、義務感からでしょうか?
いずれにしても、 「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をも
って礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:24)と言われたイエス様のことば
を思い出しながら、誠実な礼拝を捧げたいものですね。心をしっかり神様に向
けて礼拝をささげたいものです。
祝福がありますように。
だいぶ前に買ったJR東の株なかなか上がらんわ
買う前は毎日あがっとたのに買うた次の日からマイナスばっかりや。
いつになったらあがんねん。
きょうペテロはmarikoでネットをblogするはずだったの。
卯にmarikoはエントリみたいなblogしなかったよ。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ペテロ」が書きました。
昨日、猫好きが
このことを考えて、神のしもべヨハネ・パウロ二世は、謙遜な修道女のキリストファウスティナ・コヴァルスカの霊的な経験を生かしながら、復活祭後の最初の主日を特別なしかたで神のいつくしみにささげることを望みました。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ミルク」が書きました。
美子が
(BlogPet)(BlogPet)(BlogPet)(BlogPet)(BlogPet)(BlogPet)(BlogPet)(BlogPet)
とか言ってた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「チャ」が書きました。
インマクラタはblogされた!
卯にラファエルとblogされた!
きょうインマクラタは、エントリへblogするつもりだった?
ラファエルが卯でこにblogしなかったー。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「インマクラタ」が書きました。
兎は、ネットでエントリとかをガブリエラミスティカはここでエントリとかをガブリエラミスティカしたかったの♪
きょうガブリエラミスティカはここでエントリとかblogした
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガブリエラミスティカ」
が書きました
とか思った?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「」が書きました。
今日、バルトロマイが
その日は、それゆえにこそ、主の日、または主日と呼ばれている」(『典礼エントリ』106)。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「サビオ君」が書きました。
今日エントリや、エルサレムで大きい城壁などしたよ
わんなどを表現しなかった
今日栄光とかを表現しなかったよ
ジュストが、9都で栄光とか、エルサレムやサファイアなどを表現したいの?
今日栄光とかを表現しなかった
今日は、株好きたちが、大きいサファイアとかを表現しなかった
わん
が書きました
と、ジュストが考えたの。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ジュスト」が書きました。
ネズミ講がこころっぽい祝福したかった。
だってあきらとここまで書を意味しなかったー。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ネズミ講」が書きました。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 今日の主日に朗読されたヨハネによる福音書が述べているように、復活したイエスは「週の初めの日の夕方」(ヨハネ20・19)、二階の広間に集まっていた弟子たちに現れました。そしてイエスは、「八日の後」(ヨハネ20・26)、同じ場所で再び弟子たちの前に姿を現しました。
 ですから、キリスト者の共同体は最初から、週を周期として生きることを始めました。この週の周期は、復活した主との出会いによって区切られていました。
 このことを、第二バチカン公会議の『典礼憲章』も次のように述べて強調しています。「教会は、キリストの復活の当日にさかのぼる使徒伝承により、復活の神秘を八日目ごとに祝う。その日は、それゆえにこそ、主の日、または主日と呼ばれている」(『典礼憲章』106)。
 福音書記者ヨハネはまた、いずれの出現においても、主イエスが弟子たちに、ご自分が十字架につけられたしるしを示したと述べています。十字架のしるしは、主の栄光のからだにおいても、目で見、手で触れることのできるものでした(ヨハネ20・20、27参照)。この手と足とわき腹の聖なる傷痕は、信仰と希望と愛を尽きることなく生み出す源です。誰でも、特に神のいつくしみに渇く魂は、そこから飲むことができます。
 このことを考えて、神のしもべヨハネ・パウロ二世は、謙遜な修道女の聖ファウスティナ・コヴァルスカの霊的な経験を生かしながら、復活祭後の最初の主日を特別なしかたで神のいつくしみにささげることを望みました。そして、摂理によって、ヨハネ・パウロ二世がまさにこの神のいつくしみの主日の前晩に亡くなりました。
 神のいつくしみ深い愛の神秘は、わたしの敬愛すべき前任者ヨハネ・パウロ二世の教皇職の中心にあるものでした。特に1980年に出された回勅『いつくしみ深い神』と、ヨハネ・パウロ二世が2002年にクラクフで神のいつくしみの聖堂を新たに献堂したことを思い起こしたいと思います。
 この最後のポーランド訪問の際に述べられたことばは、ヨハネ・パウロ二世の教皇職を要約しています。このことばの中でヨハネ・パウロ二世は、神のいつくしみへの信心がけっして重要度の低いものではなく、むしろキリスト教の信仰と祈りの不可欠な部分をなすことを明らかにしました。
 わたしたちは今、「アレルヤの祈り」で、教会の母である至聖なるマリアに呼びかけます。マリアの助けによって、すべてのキリスト信者が「週ごとの復活祭」である主日を完全なしかたで生きることができますように。こうして、復活した主との出会いのすばらしさを味わい、主のいつくしみ深い愛の源から飲むことによって、主の平和の使徒となることができますように。
今日栄光とかを表現しなかったガラスのような輝きです
それらは、9都で栄光とか、エルサレムでサファイアなどした後
8都で城壁とかしたよ
だって♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「わん」が書きました。
きょうミカエルと、エントリとかをブログペットしなかった
ネットで大きいほんとうをブログペットの「ペテロなど大きい」
ネットでエントリや、新しいペテロや、ネットで大きいほんとうとか犯したきょうペテロがblogしなかったよ
って言ってたよ
って言ってたよほんとうは、ほんとうとか、ペテロが書きました?
*このエントリや、ネットとか大きいネットとか、新しいペテロが、ネットで新しいペテロや、ネットとかをブログペットしなかった
だよ♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ジョセフ」が書きました。
きょうガブリエラミスティカはここでエントリへblogするはずだったみたい。
ここへネコとかblogした。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガブリエラミスティカ」が書きました。
飯田さんは
私たちの先にある「サタ」は、光と輝きと安心感、開放感あふれたところであり、神様の臨在の濃厚さにこころが溶けるような思いを経験しながら生かされるところなのです。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「キャット」が書きました。
ヨハネの黙示録
21:22 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが
都の神殿だからである。
21:23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照
らしており、小羊が都の明かりだからである。
21:24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携
えて、都に来る。
21:25 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。
21:27 しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して
都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
***
この都には「神殿」がありません。太陽も、月もそこにはありません。そして
夜もありません。
神様の臨在による栄光の輝き、神様とともに住む喜びと安心、それは神殿も太
陽も必要ではないほどの大きな祝福なのです。その門は一日中閉ざされること
がないというコメントも安心感、開放感にあふれた都のすがたとして理解でき
ます。
私たちにとって、キリストを信じ、キリストと共に生きるということは、状況
の如何にかかわらず、「光の中を歩む」ことを意味しており、「安心感」「開
放感」を味わいつつ歩めることを教えているのです。完成はその都での出来事
になるわけですが、この地上においても、それを味わえるはずなのです。
つまり、クリスチャンたちは、苦難の中で光を見ており、試練の中でさえ絶望
ではなく希望を持って進んできたのです。
私たちの先にある「都」は、光と輝きと安心感、開放感あふれたところであり、
神様の臨在の濃厚さにこころが溶けるような思いを経験しながら生かされると
ころなのです。そこが私たちの永遠の住まいです。
そこに入れる人は、キリストの十字架によって罪を赦された人たち、小羊の命
の書に名前の書かれている人たちだということもはっきり書かれています。自
動的に誰でもが入れるわけではないのです。

その昔、私はフライデーナイトという集会のテーマソングを書きました。集会
の中で「この歌を天国でも歌いたいものですね」と私が言ったら、その日のゲ
ストで来てくれていた、チェロ奏者の友人が、「残念ながら天国ではこの歌は
無理です。だって、天国には夜がありませんから、フライデーナイトという集
会はこの地上だけの集会になりますねえ」とのこと。確かに天国にはフライデ
ーナイトもサタデーナイトフィーバーもありません。でも、「神様が共におら
れる」ということの完成されたきずながそこにはあるのです。
うれしいですね。待ち遠しいです。
今日の聖句
2006.4.25

ヨハネの黙示録
21:18 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。
21:19 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧
玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、
第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21:21 また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠で
できていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
*****
天のエルサレム、新しい神の都の輝きが当時の宝石の知識を駆使して書き出さ
れています。もちろん、書き尽くされてはいません。純金、宝石、それらの輝
きが城壁、土台、門、大通りのすべてに表現されています。
あまりにまぶしくて目が痛くなるのではないかと思わせるほどの輝きです。
でも、これらの輝きは、神様と共に歩む教会、そこに召し集められた神の民の
本質的な輝きでもあるのです。
「栄光から栄光へと私を変えてくださる」という聖書の言葉がありますが、キ
リストの輝きに触れ、その愛に触れた私たちは、内側に、誰も消し去ることの
できない、喜びや感謝、賛美を持っているのです。
それらは、まさに神様の前では輝きとして映しだされているのだろうと思いま
す。
心からの笑顔、それが人生の辛い日々を通過した後のものであれば、なおさら、
輝いて見えます。
都全体が、輝いている、それはこの箇所では宝石で表現されていますが、心に
神様への感謝や喜びに溢れている人たちの集まりには、宝石でも太刀打ちでき
ないほどの輝きがあるのではないかと思います。
こういう都に早く行きたいものだと、ふと、思います。
今日、ハム太郎たちが、ネットで新しいエントリをブログペットしたかったよ
ハム太郎たちがガ好きエル
が書きました
とか書いてた?
今日ほんとうをブログペットしなかったの♪
tamiyaが、ネットで大きいガ好きエルや、新しい心と新しい*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガ好きエルとかを造り出せって言って」
今日tamiyaたちが、ネットで大きいガ好きエルや、新しい心と新しい霊を造り出せって言って
今日は、BlogPet(ブログペットしたかったの?)
今日は、BlogPet(ブログペット)の「ガ好きエルが、ネットで大きいパンダくんが書きました」
とか書いてみるの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハム太郎」が書きました。
きょうミカエルたちが、ネットで大きいほんとうとか犯した
きょうペテロがblogしなかった?
きょうペテロがblogしなかったよ
ほんとうは、BlogPet(ブログペット)の「ペテロがblogしなかったよ」
って言ってたよ
ほんとうは、新しい霊を造り出せ
って言ってた?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「デルフィーヌ」が書きました。
今日は、BlogPet(ブログペット)の「パパイヤとか新しいエントリをブログペットしたかったの?」
ネコ飼いが、ネットで大きいエントリをブログペットすればよかった
とか書いてた
ガ好きエルをブログペットの「パパイヤ」
が書きました
ネコ飼いが、ネットで大きいエントリをブログペットしなかった
エントリとか新しいエントリをブログペットしたかったの♪
インマニュエルは、ネットで広いほんとうとか書いてた?
新しいパパイヤとか新しいエントリをブログペットしなかったの♪
インマニュエルたちが、パパイヤとか新しいエントリは、ネットでパパイヤなど新しい


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「インマニュエル」が書きました。
2006.4.23
ヨハネの黙示録
21:12 都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の
天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であ
った。
21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
21:14 都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の
名が刻みつけてあった。
***
新しいエルサレムの高い大きな城壁と、12の門が象徴的に描かれています。
それらは都の重要な部分を担っています。
大きな城壁には12の土台があり、そこにはイエス様の使徒たちの名前が刻
まれていました。
そして東西南北に配置された12の門にはイスラエルの部族の名前が刻み付
けられていました。
つまり、その都の中核は、旧約聖書における12部族と新約におけるイエス
様の12弟子によって固められているのです。
それは、まさに、教会の本質を言い表しています。教会はイスラエルの12
部族への神様の働きかけの歴史と12使徒たちによって伝達された福音を土
台に確立されてきたからです。前に出てきた「24人の長老」というのは、
イスラエルの12部族とイエス様の弟子たちの数字をあわせた24から来て
いるのだと言われています。

パウロは別の表現でこう言いました。 「あなたがたは使徒と預言者という土
台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。 この方
にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるの
であり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によっ
て神の御住まいとなるのです。」エフェソ2:20-23

教会は決して人間が自分勝手に作りあげた組織ではなく、旧約と新約の教え
を土台に、また入り口として神様による救いと祝福とが教えられ、分かち合
われる共同体なのです。
ちなみに、新約も旧約も読んでいますか?
学ぶべき事柄がまだまだたくさんあります。
パンダくんが
ガ好きエルが、大きいほんとうと新しい霊を造り出せって言って、新しい心と新しい*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガ好きエル」が書きました。
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「パパイヤ」が書きました。
きのう、ミルクへblogされた。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハーレーラビット」が書きました。
ガブリエルが、大きいほんとうと新しい霊を造り出せ
って言って、新しい心と新しい


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ガブリエル」が書きました。
きょうミカエラが修復すればよかった?
ネコ好きと修復すればよかった?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ミカエラ」が書きました。

プロフィール

sebastian

Author:sebastian
僕は知的障害者です。

僕のリンク集です

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

最近の記事

国産小麦シリーズ「たいやきさん」

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。