Raphael
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1900余歳の聖ヨゼフへの祈り「ああ神の玉座の御前にいとも偉大にして強くかつ速やかなる御保護を給う聖ヨゼフ、我は御身に我が関心と望みのすべてを委ね奉る。ああ聖ヨゼフ、御身の力強き御取次ぎによりて我を助け、我らの主イエズス・キリストによりて、御身の神なる御子より、あらゆる霊的祝福を我がために乞い求め給え。かくて、ここ御身の天的御力の下に、我、教父達の愛への感謝と尊敬を捧げ得んことを。ああ聖ヨゼフ、我は御身と御身の御腕の中にやすらい給う主イエズスを思いて飽くことなし。彼が御身の御心臓の近くに休み給うとき、我はあえて近づき奉らず。我が名において彼を抱きしめ、我がために彼の美わしき御頭に口づけし、我が臨終の息を引きとらんとき、その口づけを返し給わんことを彼に願い給え。聖ヨゼフ、死期の霊魂の保護者よ、我らのために祈り給え。 アーメン。」 この祈りは我らの主イエズス・キリスト紀元50年に発見されました。1505年にそれは教皇から戦いに出ようとしていたチャールス皇帝に送られました。誰でもこの祈りを朗読し、あるいはそれを聞き、あるいはそれを運ぶ人は決して突然の死に見舞われることがなく、溺れることもなく、毒を飲んでも害を受けないでしょう。彼らは敵の手に陥ることもなく、いかなる火にも焼かれず、戦いで負けることもないでしょう。この祈りをあらゆる場所で知らせなさい。 トレント大司教認可
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主祷文(主の祈り)
天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。

天使祝詞(聖マリアへの祈り)
めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イユズスも祝せられ給う。天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

恵みあふれる聖マリア、主はあなたとともにおられます。 主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました。 神の母聖マリア、罪深い私達のために、今も、死を迎える時も 祈って下さい。アーメン。

ロザリオの祈りは救世主と聖マリアの主な喜び、苦しみ、栄えの玄義を黙想しながら天使祝詞百五十回を唱える祈りである。天使祝詞十回が一連で、五連が一環となり三環で終る。 一連毎に一玄義を黙想するからロザリオの十五玄義といわれる。
一日に一環を唱える場合には、喜びの玄義を月曜木曜の日に、苦しみの玄義を火曜金曜の日に、栄えの玄義を水曜土曜日曜の日に黙想する。
一般に各連の唱え方は黙想する玄義を始めに唱え、大珠では主祷文、小珠では天使祝詞各一回宛を唱え、終りに栄唱を唱える。

司祭のマリア運動のチェナクルム(集り)でのロザリオの祈りは、まず聖母に祈りの意向を申し上げ、また、特に教皇様の為に祈ります。栄唱の後には「ファティマの牧童の祈り」を唱え、喜びの玄義、苦しみの玄義、栄えの玄義の中で随時「大天使聖ミカエルに向かう祈り」を唱えます。


使徒信経
われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、またその御独り子、われらの主イエズス・キリスト、すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、古聖所に降りて三日目に死者のうちよりよみがえり、天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し、かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う主を信じ奉る。われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通 功、罪の赦し、肉親のよみがえり、終わりなき命を信じ奉る。アーメン。
<口語の祈り>
天地の創造主、全能の神である父を信じます。父のひとり子、 わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によって 人となり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで 苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、死者のもとに 下り、三日目に復活し、天に上って、全能の神である父の右の座に着き、生者と死者を裁くために来られます。聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、体の復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。

主祷文(主の祈り)
天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
<口語の祈り>
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。

天使祝詞(聖マリアへの祈り)
めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イユズスも祝せられ給う。天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
<口語の祈り>
恵みあふれる聖マリア、主はあなたとともにおられます。 主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました。 神の母聖マリア、罪深い私達のために、今も、死を迎える時も 祈って下さい。アーメン。

栄唱
願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。
<口語の祈り>
栄光は父と子と聖霊に、はじめのように今もいつも世々に。アーメン。

◇ファティマの牧童の祈り
あゝイエズスよ、我らの罪を赦し給え。我らを地獄の火より護り給え。又すべての霊魂、ことに主の御憐れみをもっとも必要とする霊魂を天国へ導き給え。
<口語の祈り>
主イエズス・キリスト、わたしたちの罪をゆるしてください。 わたしたちを滅びから救い、すべての人々、 ことにおんあわれみをもっとも必要としている人々を天国に導いてください。 アーメン

◇大天使聖ミカエルに向かう祈り(随時)
大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを護り悪魔の凶悪なる謀計に勝たしめ給え。天主のかれに命を下し給わんことを伏して願い奉る。 あゝ天軍の総帥、霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメン。



ロザリオの十五玄義  (光の玄義の関連情報はこちら)
■<喜びの玄義>
・第一玄義:この一連を献げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、その御取次ぎによりてけんそんの徳をこいねがわん。
・第二玄義:この一連を献げて、聖母がエリザベトを訪問し給いたるを黙想し、その御取次ぎによりて人を愛する徳をこいねがわん。
・第三玄義:この一連を献げて、主の降誕し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて清貧の徳をこいねがわん。
・第四玄義:この一連を献げて、聖母が潔めの式にあずかり、主を聖殿に献げ給いたるを黙想し、その御取次ぎによりておきてを守る徳をこいねがわん。
・第五玄義:この一連を献げて、聖母が主を聖殿に見出し給いたるを黙想し、その御取次ぎによりて主を愛する徳をこいねがわん。
■<苦しみの玄義>
・第一玄義:この一連を献げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて罪を痛悔する恵みをこいねがわん。
・第二玄義:この一連を献げて、主がむち打たれ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて罪を償う恵みをこいねがわん。
・第三玄義:この一連を献げて、主がいばらの冠をかむらせられ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて侮辱を恐れざる恵みをこいねがわん。
・第四玄義:この一連を献げて、主が十字架を担い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて苦難を甘んじ受くる恵みをこいねがわん。
・第五玄義:この一連を献げて、主が十字架にくぎ付けにせられて死し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて救霊の恵みをこいねがわん。
■<栄えの玄義>
・第一玄義:この一連を献げて、主の復活し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて信仰の徳をこいねがわん。
・第二玄義:この一連を献げて、主の昇天し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて天国の福楽を深く望む心をこいねがわん。
・第三玄義:この一連を献げて、聖霊の降臨し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて聖霊の賜物をこいねがわん。
・第四玄義:この一連を献げて、聖母の被昇天を黙想し、その御取次ぎによりて善き終りを遂ぐる恵みをこいねがわん。
・第五玄義:この一連を献げて、聖母が天使と人類との元后に立てられ給いしを黙想し、その御取次ぎによりて永福の冠をこいねがわん。
(教会認可)
第1玄義  主の洗礼を黙想し聖母マリアの御取次により、罪に死に光に歩む恵みを乞い願わん。
1)洗礼者ヨハネの宣教、「主の道をまっすぐにせよ。」
2)多くのユダヤ人、洗礼者ヨハネの下に来る。
3)多くの弟子がヨハネの下にとどまる。
4)イエス、洗礼者ヨハネの前に立たれる。
5)ヨハネ感嘆の声をあげる。「見よ、神の子。世の罪を取り除く神の子羊」
6)イエス、「良いことはわたしにもさせてください。」
7)イエス洗礼を受ける。聖霊が鳩の形でイエスの上に下る。
8)天から父の声、「これは私の愛する子。これに聞け。」
9)わたしたちも洗礼の恵みを生ききる恵みを願う。

第2玄義  カナの婚礼で主が水をぶどう酒に変えられたことを黙想し、聖母の御取次により、その祝福を乞い願わん。
1)主と聖母、親戚の婚礼に招かれる。
2)聖母は祝宴の用意に立ち働かれる。
3)宴席にブドウ酒が見りなくなる。
4)聖母マリア、イエスに助けを願う。「ブドウ酒が足りなくなりました」
5)イエス答える。「婦人よ、それが私とどんなかかわりがありますか」「わたしのときは、まだ来ていません。」
6)イエス、聖母マリアの愛徳の願いを御心にて聞かれる。
7)イエス人々に言われる。「水がめた水を入れなさい」
8)最良のブドウ酒になった水。人々の喜び。
9)聖母の恩恵の仲介に感謝。

第3玄義 主が神の国を宣べ伝え、紳の業をされたことを黙想し、聖母の御取次により、使徒職の恵みを乞い願わん。
1)12使徒の選び。
2)5000人のパンの奇跡。
3)ユダヤ人たちの不信仰。
4)神の子であることを証しされる。「アブラハムの生まれる前からわたしはある。」
5)生まれつきの盲人を癒す。
6)病人を癒し、悪魔を追い払う。
7)死人をよみがえらせる。
8)ファリサイ派の人々の疑い。
9)ラザロを復活させる。

第4玄義 主がタボル山で変容されたことを黙想し、聖母の御取次により、主の使命に協力する恵みを乞い願わん。
1)弟子たちに「人々は自分を誰だといっているか。」とお尋ねになる。
2)「洗礼者ヨハネだとも言われています。」
3)「エレミアだとも言われています。」「預言者の一人とも言われています。」
4)「それではあなたがたはわたしを誰だというのか。」
5)シモン・ペトロが「あなたこそ生ける紳の子キリストです。」と答える。
6)「わたしはあなたに天国の鍵を授ける。」
7)イエスは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネと共にタボル山に登る。
8)主イエスの顔は太陽のようになり、服は光のように変貌される。
9)ご自分の御受難の予言とわたしたちに十字架を背負い従う忠実さを願われる。

第5玄義 最後の晩餐を黙想し、聖母の御取次により、御聖体の恵みを生きる恵みを乞い願わん。 1)エルサレム入場、ホザンナ。
2)イエス、宮潔めを行なわれる。
3)神殿の崩壊を予告。
4)ベタニアで香油を注がれる。
5)ニコデモの家で、最後の晩餐を行なう。
6)御聖体と御ミサの制定と、聖体に生きる恵みを宣布。
7)ご自身と人類が一体となることを祈られる。
8)罪の赦しを宣言。
9)聖母と別れて、ゲッセマネの園に向かう。
一九九〇年 一月一日 神の御母聖マリアの祭日    ルッビオ市(ヴィチェンツァ)
 再臨の御母
 最愛の子らよ、あなたたちは、わたしの神的母性の汚れなき光のうちに、この新年をはじめなさい。
 わたしは、わたしの子イエズスのお望みに従って、あなたたちの母でもあります。
 母として、わたしは、ちょうどこの日にはじまるこの十年間のはじめに、あなたたちの手をとって導きたいと望んでいます。
 この十年問は、たいへん重大なものです。
 この期間は、あなたたちのうちにおられる主の力づよい現存によって特別にしるされた期間です。  あなたたちのこの一世紀の最後の十年間のうちに、わたしが前に予言した出来事は実現するでしょう。
 それで、あなたたちはみな、母としてのわたしの働きによって養成されるままにまかせる必要があります。

 ---わたしは、あなたたちの心を養成します。それは、あなたたちを改心にみちびき、愛するという新しい能力に開かせるためです。そのために、利己主義と無味乾燥の病気からあなたたちをいやします。

 ---わたしは、あなたたちの魂を、神の恵みと潔白、そして愛徳の偉大なたまものに成長するのを助けてあげることによって養成します。
 わたしは、あなたたちの中に、天の花園であるかのように善徳の花を咲かせます、聖徳に成良させるその善徳を。
 こうして、わたしは、あなたたちから悪の影、罪の氷、不潔の荒れ地を遠ざけます。

 ---あなたたちの体をわたしは養成します。その体に、ご自分の生きる神殿であるかのように住んでおられる聖霊の光を、あなたたちの体にかがやかせることによって。
 こうして、わたしは、あなたたちを潔白と美と調和、喜びと平和、また天国のすべての聖人とのまじわりの道にみちびきます。
 これら数年問のうちに、わたしは母としてのわたしの活動をもって、おいでになる主を迎える準備をさせます。
 わたしが、わたしの汚れなき心に対する奉献を願った理由は、そこにあります。
 わたしが、あなたたちひとりびとりのうちに働くことができるように、必要な内的従いやすさにあなたたちみなを養成します。こうして、主をふさわしく迎える準備をさせる深い変化にあなたたちを導きます。

 わたしは再臨の御母です。
 わたしは主の新しい到来の準備をさせます。
 わたしは、光栄のうちにあなたたちの所に戻ってこられるイエズスの道を開さます。
 傲慢と憎しみと暴力の高い山をたいらにしなさい。
 悪徳と邪欲と不潔によって掘られた谷間を埋めなさい。
 罪と神を否定する荒れ地から遠ざかりなさい。

 やさしくあわれみ深い母として、わたしは今日、わたしの子らと全人類に、おいでになる主の道を準備するように呼びかけます。
 あなたたちのこの世紀の最後の十年間のはじめに、主がわたしにまかせてくださった役割は、あなたたちの所に来られる主を迎える準備をさせることです。
 このためにわたしは、すべての人に、心と生活の改心の道を通って主にかえるように呼びかけます。なぜなら、今この期間は、まだ主が与えてくださった恵みの時だからです。
 自分を子どものようにわたしにまかせて、わたしの汚れなき心に自分を奉献するようにと、わたしはみんなによびかけます。それは、すべての善徳をよろこんで守ることをもって、聖徳の道に、わたしが導くことができるためです。その善徳は、信仰、希望、愛徳、賢明、剛毅、正義、節制、沈黙、謙遜、潔白、あわれみのことです。
 わたしは、あなたたちを祈りに養成します。その祈りをあなたたちは、いつも、わたしといっしょにしなければなりません。
 わたしがたのんだとおり、祈りの集い(チェナクルム)を世界のどこにでもふやしなさい。
 それらは、夜に輝くともしび、安全な拠り所、期待されている必要な避難所となります。
 特別にねがいたいのは、家庭的なチェナクルムをますます広めることです。それは、すでにまじかに迫ってきた偉大な試練において、あなたたちに安全な住まいを与えるためです。

 わたしは再臨の御母です。
 それで、あなたたちは、この数年間、わたしから養成され、準備されるままにまかせなさい。
 それは、あなたたちのうちに、愛と聖徳、正義と平和のご自分のみ国を再建するために、光栄のうちに来られるイエズスを迎える準備ができるためです。

一九九〇年 二月二日 幼きイエズスの神殿への奉献の祝日                       ハウルー(マットグロッソ)ブラジル
 小さな人々の心においてだけ
 わたしのこのすべての子らをごらんなさい、かれらは、単純で小さく、苦しみと貧困のうちにあれほど悩んでいます。
 それにしても、ごらんの通り、かれらは、奉献と祈りへのわたしの呼びかけに、どれほど寛大に応えたことでしょう。

 ---これに応えたのは、子どもたちです。かれらはわたしを愛し、やさしい子どもの愛をもってわたしをとり囲み、祈りの集いにあつまって、わたしといっしょに祈り、わたしの汚れなき心への自分たちの奉献をみないっしょに新たにしています。
 子どもたちからのこの寛大な応えは、わたしの汚れなき心に大きな喜びを与え、イエズスのご聖体のみ心のもとに、取りつぎとつぐないの大きな力となります。
 わたしは、世界のどこにでも、子どもたちのチェナクルムがふやされるようにと願います。それは、わたしが、世界の救いのために、祈りと奉献の十字軍に子どもたちを招いているからです。

 ---これに応えたのは、青年たちです。かれらの多くのものが、わたしの汚れなき心への奉献が要求する義務を自分たちの生活のうちにひき受けたのです。そして、罪をさけ、成聖の恵みをたもち、キリスト教的善徳、とくに潔白の善徳を守る努力をしながら、この奉献に生きるようにつとめます。
 かれらは、チェナクルムに集まって、わたしといっしょに祈り、わたしのことばを黙想しています。このことばこそ、かれらを、イエズスの福音に生きることにやさしく導きます。
 あなたたちの天の母から示された道に従う青年たちの数は、日ごとにふえてくるでしょう。

 ---これに応えたのは家族です。わたしの心に自分を奉献し、わたしが望み、そしていく度も頼んだ家庭的なチェナクルムに集まるのです。こうして、わたしに奉献された家庭は、分裂と離婚との重病に対抗でき、堕胎と命をさまたげるあらゆる手段によりすがるという恐ろしい癌の伝染にかからないように守られています。
 それで、あなたは、ここにいるほどたくさんの子どもたちを他のどこにも見ることはできません。ここでは、子どもたちは、忠実をつくす家庭に主から与えられるいちばん美しい、また貴重な宝として歓迎されています。

 ---これに応えたのは小教区です。牧者と、それにまかせられた信徒たちすべてです。
 小教区の共同体はわたしの汚れなき心に奉献されたもので、毎日わたしと共に祈りのチェナクルムに集い、聖なるロザリオをとなえ、祭壇の上で荘厳に顕示されているご聖体のイエズスのみまえに、ひれ伏して礼拝します。
 こうしてイエズスは、ご自分の愛の偉大な力を人々の霊魂に示すことがおできになります。そして、貧しく離れたこの所で、あなたたちのうちに、ご聖体のご自分の国の到来をもって、あわれみ深いその愛の勝利を実現させてくださいます。
 わたしが今日、幼いイエズスを抱いて、イエルザレムの神殿に捧げたことを、あなたたちは記念しています。ここですでに、わたしの勝利がはじまったことを告げ知らせます。
 わたしは、毎日、小さな人々の心においてだけ、わたしの汚れなき心の偉大な勝利をかち得ます。
めでたし聖寵充ち満てるマリア、
主御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。アーメン。
めでたし聖寵充ち満てるマリア、
主御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。アーメン。
めでたし聖寵充ち満てるマリア、
主御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。アーメン。
きのうは命令するはずだったみたい。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハム太郎」が書きました。

―高槻の信者―
「神の国」で復活祭祝う 日本初のパイプオルガン

 ボタン、マント、メリヤス、パン、カルタ、タバコ、テンプラ、ビロード、コンペイトウ…。いずれの言葉もキリシタン宣教師とともに日本にやってきた南蛮(なんばん)渡来文化の名残である。織豊時代以前、日本人の世界観は「三国一」の言葉に象徴される通り、中国、インドあたりまでだった。
 ポルトガル、スペインによる大航海時代の幕開けは、極東の島国にまったく異質の文化をもたらした。その使徒は、イエズス会宣教師たちである。南蛮渡来の文物は、当時の庶民には無縁のものだったが、富む者も貧しき者も等しく享受できた数少ない渡来文化の一つに西洋音楽があった。
 天正9(1581)年3月、高槻(たかつき)領内の教会に日本で初めてパイプオルガンが設置された。巡察師ヴァリニァーノを迎えて行なう復活祭のため、遠くヨーロッパから運ばれてきたのである。
 これより2年前、宣教師が持ってきた携帯用の小型オルガンは、行く先々で日本人を魅了した。「もしオルガンがあれば、日本人信者をいくらでも増やせられる」。京都地区修院長のオルガンチノがこう手紙に書いたほど、日本人は不思議な旋律を奏でる箱にぞっこんで、キリシタンはもとより、信者以外の者まで、西洋音楽を口ずさんだという。

高山右近列福祈願ミサが催された高槻教会

 同年3月21日、高槻で行なわれた復活祭には、畿内のキリシタン1万数千人が集まった。まさに空前絶後の活況を呈した祭典であった。高槻教会にはパイプオルガンの荘厳な音色と、安土のセミナリオ(神学校)からやって来た少年たちが歌うグレゴリオ聖歌が響き渡った。右近の心境はいかばかりだったろう。巡察師ヴァリニァーノも感激の涙を抑えられず、「まるでローマにいるようだ」と語ったという。
 巡察師は、イエズス会総会長に代わって各地を視察し、布教活動の方針を伝える重要な役目を負う。その巡察師を招いて、キリスト教の最も重要な祭事である復活祭が高槻で催されたことは、特筆されていい。
 宣教師ルイス・フロイスは、著書「日本史」のなかで、こう記している。「ジュスト(正義)の名にふさわしい城主(右近)と交わったことほど、彼(ヴァリニァーノ)を満足させ、驚嘆させたものはなかった。彼は28歳の青年で、信長の最も勇敢な武将の一人であるにもかかわらず、教会および神父に対しては、謙虚・従順であり、彼らと交わるときは、一従僕のごとくである」
 高槻には当時、1万7千人のキリシタンがいたといわれる。領民は約2万5千人だったから、実に領民の7割までが洗礼を受けた計算になる。そのほとんどすべてが右近と父親の飛騨守(ひだのかみ)の導きによるものだった。時代背景を考えれば、これはまさに奇跡と言ってよい。
 1998年6月、高槻城跡地内三の丸付近で大規模なキリシタン墓地が見つかった。右近の時代に、木造の会堂と宣教師の宿舎があった場所で、発掘された29基の木棺のなかには、ふたに十字架が墨書きされたものもあった。国内で確認された最も古いキリシタン墓地である。
 かつて右近の領地であった茨木市の山間部の旧家からも、聖フランシスコ・ザビエル画像やマリア十五玄義図、キリシタン本などが見つかっている。いずれも「神の国」の往時の繁栄をしのばせる遺物であった。
 今年2月3日、大阪・高槻市のカトリック高槻教会で、高山右近列福祈願ミサが催された。右近の命日に合わせて開催され、約3百人が列席した。オルガンの調べが流れるなか、カトリック大阪大司教区の池長潤大司教が静かに語り始めた。「この地ではキリシタン墓地が発掘されました。宣教師らしい墓もありましたが、庶民と同じように埋葬されていました。右近には差別的な意識がなかったのです。右近の精神を見習いましょう」。
 高槻の信者にとって、右近は今なお揺るぎない信仰の象徴であった。

〔ヴァリニァーノ〕
 イタリア・ナポリ生まれ。1579年から1603年にかけて3度にわたり、「巡察師」の職命を帯びて来日した。その報告書は、イエズス会の内部資料であるため、実に詳しく生々しい。優れた観察眼と洞察力が読み取れる。
 ヴァリニァーノは日本人の資質を高く評価し、「われらは、彼らより顕著に劣っている。私は国語を解し始めてより、かくも世界的に聡明で、明敏な人々はないと考えるにいたった」と記している。
すべての人の救いを望まれる神よ、
わたしたちが彼の取次ぎによって祈り求めるおん恵みをかなえ、
ユスト高山右近を福者の列に加えてください。
(右近よ目に見える奇跡をお見せくださいそして如何か列福されますように)
ユスト高山右近は、あなたの子キリストの、
「全世界に行って、福音を述べ伝えなさい」(マルコ16・15)
とのご命令にこたえ、苦しむ人を支え困難のうちある人を助けてあなたへの愛を証ました。
また、理不尽な世の権力に屈せず福音への忠実を選び、すべての地位と名誉を失い、
幾多の困難を進んで受け入れ、ついには異国へ追放されました。
この福音的忠実にこたえ、私たちの願いをお聞き入れてください。
また、時を経た現代に生きるわたしたちのも、ユスト高山右近のように、
この世の力と栄光に惑わされることなく生きることによって、
あなたのみ名を知らない人々のために、福音の証し人となる信仰と勇気とをお与えください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

(ユスト高山右近の取次ぎによって、祈りがかなえられたことがあれば、
大阪大司教区本部事務局までご連絡ください)
すべての人の救いを望まれる神よ、ユスト高山右近は、「全世界に行って、福音をのべ伝えなさい」というキリストのことばにこたえ、苦しむ人を支え、困難のうちにある人を助け、あなたへの愛をあかししました。また、世の権力に屈することなく福音に忠実に従う道を選び、すべての地位と名誉を捨て、幾多の困難をすすんで受け入れ、ついには異国へ追放されました。このように、あなたはユスト高山右近をとおして、すべての人に仕える者の姿を示してくださいました。
父である神よ、どうか私たちの祈りを聞き入れ、福音を力強くあかししたこの神のしもべを福者の列に加えてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン

(神よ、何卒このユスト高山右近の祈りによって奇跡を起り1日も早く福者にしてくださいますよう アーメン)

父である神よ、現代に生きるわたしたちが、あなたの忠実なしもべユスト高山右近にならって、この世の力や誘惑に惑わされることなく生き、み名を知らない人びとに福音をあかしできるよう、ゆるぎない信仰と勇気で満たしてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン
 くすしきバラ(ローザ・ミスティカ)、イエズスのおん母、尊いロザリオの元后、教会の母、キリストの神秘体のおん母よ、わたしたちは、この不安にみちた世界のために一致と平和のたまもの、そして、あなたの子であるわたしたちの迷う魂を主のみもとに立ち帰る恵みをとりついでください。

きょうはネコ飼いとエントリはblogしたかもー。
ネコ飼いでくさりへblogするつもりだった?
ここまでエントリblogしなかったー。
ここにネコ飼いのくさりとかblogしたよ♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「インマニュエル」がBiCUAを読んで書きました。
聖ヨゼフ(祝日:3月19日、5月1日)
臨終の保護者、大工の保護者、労働者の保護者、公教会の保護者


聖ヨゼフは、イエズス様の御養父であり、マリア様の浄配でいらっしゃいます。と同時に、私達の良き父親でもあります。

2000年前、イエズス様とマリア様を養われたヨゼフ様は、今、私達を養って下さっています。イエズス様をお抱きになり、その涙をぬぐい去り、全ての敵からお守り下さったヨゼフ様は、今、同じように私達をイエズス様への絶え間ない愛に、そして深い信頼へと導いて下さっています。私達が、苦難に遭えば、その涙と悲しみをぬぐい去って下さいます。あらゆる誘惑と全ての罪、そして悪魔の攻撃からも保護してくださいますのも、この慈悲深い父であるヨゼフ様なのです。

そしてこの慈悲深き父は、私達の良き模範でもあられます。ですから、ヨゼフ様にもっと熱心に毎日、御保護とお恵みを願いましょう。特に困難と危機の時に際しては、聖ヨゼフのもとに駆け寄りましょう。彼は、天使的徳である純潔と貞操の白百合を下さいます。夫婦にとっては、良き模範となって下さいます。困難な時は、それを耐え忍ぶ力と乗り越える力も下さいます。そして心の清さ、謙遜さも彼は下さいます。そして何よりもイエズス様とマリア様への愛に導いて下さいます。聖人の中の聖人でいらっしゃる聖ヨゼフは、イエズス様とマリア様を愛する方法を教えて下さるのです。では、聖ヨゼフとは、どんなお方でしょうか? 彼自身に導いていただけるように、まずは、ゆっくりと心を込めて聖ヨゼフに祈ってみましょう。


カルメルの祈り

イエズスから、全てを学ばれた聖ヨゼフよ。私達の信仰と愛を増し、教会と全ての兄弟に自分を与えることを教えて下さい。貧しい人々のうちにあって貧しく生きられた聖ヨゼフよ。私達に貧しさを教え、貧しい教会のうちにあって、福音を裏切る事のない生き方を教えて下さい。私達が世の惨めさに一致し、全ての人に心を合わせることが出来ますように。私達の隠れた生活が、いくらかでも、キリストの面(おもて)を教会に輝かせるものとなり、信じ得ない人々のそばにあって、キリストの隠れた現存を示すものとなりますように。聖ヨゼフよ、私達に教会と全世界の為、あなたと共に、まことの祈りの生活、愛と捧げの生活を生きるお恵みをお与え下さい。アーメン。


聖ヨゼフに取り次ぎを祈り

栄光に満ちた聖ヨゼフ、私達は、神の御母、おとめマリアの浄配、幼いイエズスの養父として、神に選ばれたあなたに信頼し、御助けを求めます。聖家族の忠実な保護者よ。イエズス・キリストに選ばれた全ての民を守り、私達の全ての誤りと弱さ、怠りと誘惑との闘いの時、憐れみを注いで助けてください。私達一人一人が、あなたの見守りの中で、あなたの模範に倣い、聖なる生涯を送り、良い死をとげ、天の喜びにたどり着くことが出来ますように。アーメン。


聖ヨゼフについての聖人達の言葉

●聖アルフォンソ・リゴリオ●
聖ヨゼフに何かを願って、聞き入られなかったことを思い出しません。

●聖ベルナルド●
聖ヨゼフが、この世で生活されたのは、私達が彼において生活の模範を持ち、天国にあげられたのは、私達の保護者となられるためです。

●聖ヨハネ・クリゾストモ●
聖ヨゼフを心から愛している者は、最も幸福な者です。神であるイエズスは、長い間、聖ヨゼフに従っておられました。そのように今も天国で、聖ヨゼフの願いには、従われるのです。

●リジューの聖テレーズ●
おお、私は、本当に聖ヨゼフ様が大好きです。ヨゼフ様は、お仕事がありますから、大斉をなさる事はお出来になりませんが、カンナをかけていらっしゃる姿が目に見えるようです。そして時々、額の汗を拭っていらっしゃいます・・・。おお、お気の毒に・・・聖家族のご生活は、私には、何と全く単純に思われるのでしょう! それに、どれほどのご心配や思うようにならない事がおありになった事でしょう! 聖ヨゼフ様も幾度仕事について、苦情をお言われになった事でしょう? また賃金の支払いをお断られになった事も、どんなに度々あった事でしょう! おお、聖家族がお苦しみになった全ての事を知りましたら、どれほど人々は、驚く事でしょう!

●アヴィラの聖テレサ1●
私は、弁護者、保護者として光栄ある聖ヨゼフを選び、熱心に彼に祈りました。彼は、私が願い得た以上によりよく救って下さったのでした。私は、彼にお願いして、聞き入れていただかなかった覚えは、今まで一度もありません。この光栄ある聖者のお執り成しによって、神が私に給うた著しいお恵み、また私を救い出して下さった霊肉の危機は、実に驚嘆するばかりです。他の聖人方は、ある特別の必要に際して、私達を助ける権能を神より受けておいでになるように思えます。しかし、この光栄ある聖者は、私共の必要に際して助けて下さいます。私は、それを経験によって知っております。主は、聖ヨゼフを地上で父とお呼びになり、御自分の養育者、御自分に命令する権威を持っている者として、彼にお従いに成りましたが、それによって、天においても、その全ての願いに従われると言う事を私共に分からせたく思し召しされるのです。

●アヴィラの聖テレサ2●
私は、この聖人が神から多くの恵みを勝ち得てくださることを非常にたびたび経験いたしましたので、全ての人にこの聖人に信心を持つべき事を納得させたいのです。ある日、御聖体拝領後で、主は、この修道院の設立のため、力の限りを尽くすように私に切にお命じになり、この修道院は、必ず設立され、御自分は、ここで非常に忠実に仕えられ給うであろうとの確かな約束をしてくださいました。主は、その修道院が聖ヨゼフに捧げられることをお望みになり、この聖人が一方の入り口を、聖母が他方の入り口をお守りになり、御自分、キリスト様は、私達の真ん中においでになり、この修道院は大きな光輝を放つ星のようになるであろうと仰せられました。

●アヴィラの聖テレサ3●
神様からお恵みが頂きたいのなら、必ず、聖ヨゼフのお取り次ぎを願いなさい。神様の特別なお恵みを必要とするとき、御ミサを願い、同時に聖ヨゼフに信頼を持って祈りなさい。

●アヴィラの聖テレサ4●
イエズス様が聖ヨゼフ様のどんな願いでも、聞いてくださる理由は、聖ヨゼフがこの世においてイエズス様の養父であられましたので、現在、天国においては、その感謝として、頼まれることは何でも命令されるかのようにすぐ聞き入れて下さるからです。私ばかりでなく、誰でも、聖ヨゼフに信心と愛を持って祈るのならば必ずお恵みを頂くことが出来るでしょう。神様の愛のためにこの私の言葉を必ず信じて下さい。例え、私の言葉を信じないとしても、せめて聖ヨゼフに対する信心を起こすようにして下さい。そうしたならば、その人は、必ずや、私のような感激の言葉を残す時が来るに違いありません。

聖ヨゼフに対する信心を実行するならば、必ず信心の結果を成就されるのです。清い生活をしようとする人は、必ず聖ヨゼフに対する厚い信仰が必要です。汚れなき聖母に対して信心深い人は、同時に聖ヨゼフに対しても信心深くなければなりません。もし、そうでないとするならば、私は、その人の信仰を疑います。もし、誰かが、私の祈りは足りないとか、信心が足りないと言う人があるのなら、聖ヨゼフに信頼しなさい。聖ヨゼフに願いなさい。そうすればその内的不完全さが、聖ヨゼフのお恵みによって癒される事でしょう。私は、キリストの御名によって、聖ヨゼフの権能のあることが真実であると言う事を皆様に教えたいのです。

●聖ビルジッタ●
聖ヨゼフに特別な信心を持つ人は、誰でも、必ず次のお恵みを受けることが出来ます。すなわち、
1.完全な貞潔とその誘惑に必ず打ち勝つ恵み。
2.罪からの回心と良き告白の恵み。
3.聖母に対する特別な信心を増す恵み。
4.将来自分の進むべき道について、明確に悟り得る恵み。
5.霊的な物ばかりでなく、物質的なお恵みも頂き、また信仰生活上でも、益々熱心になって、自分の勤めを特に忠実に果たし、日々の聖体を熱心な心で受ける恵みなどを頂けます。

●聖トマス・アクイナス●
最も優れた人 聖ヨゼフ、神と一番親密であった人には、最高の尊敬を払うべきです。

●シエナの聖ベルナルディノ●
多くの王や預言者が見たいと望んで見ず、聞きたいと望んで、聞かなかったのに反して、神は、聖ヨゼフにイエズスを見、聞くだけでなく、彼を抱き、手を取って導き、抱擁し、接吻し、養い守ることさえ、許されました。他の者達は、死んだ後に幸いな運命が定まり、勝利を得た者には、光栄が与えられます。しかし、ああ聖ヨゼフ、あなたは天使と等しく、生きている時から、どれほど甘美な接吻をイエズスから浴びせられた事でしょう!

片言を語り始めた小さい御子があなたを父と呼ばれるのをあなたは、どれほどの喜びを持って聞かれたことでしょうか! 御子の優しい抱擁は、言葉に表せないものでは無かったでしょうか! 旅の間に御子の小さな体が疲れ切ってしまった時、あなたは、どれほどの愛を込めてひざの上に抱き上げたことでしょう! 聖霊が御自分の清らかな花嫁を通じて、あなたにお与えになったこの上なく美しい愛しい息子として、あなたはイエズスに限りない愛を捧げておられました。

●聖イシドロ●
皆さん、聖ヨゼフを尊敬しなさい。聖ヨゼフを尊敬するのなら、必ず特別豊かに神様の祝福が降ります。


聖ヨゼフの奇跡 Ⅰ

聖ヨゼフは、沈黙の聖人である。・・・・とは、いつも私達が聞いているところです。話さない人は、何かを考えてると言われますが、聖ヨゼフは、何を考えておられるのでしょう。二千年前の聖ヨゼフは、幼きイエズスを養い、育てることについて考えておられました。現代においては、イエズスの兄弟である私達の霊魂を養うことを心配しておられるのです。何故なら、イエズスを頭とする教会とその子らを守り、育てるのは、聖ヨゼフの特に重要な使命ですから。それ故に、聖ヨゼフはいつも私達のそばにおられ、弱く、傷つきやすい私達の心が強くなるように計らって下さるのです。

イタリアのテリエスと言う小さい町にあった、フランシスコ会のある修道院では、親を失った可愛そうな子供達を育てる孤児院を経営していました。建物と言ってもそう大きい物ではなく、女の子達だけを預かっていました。この子供達の為に養育係として、熱心な信仰生活を送っていたジョアンナという女性が、子供達と寝食を共にしながら生活をしていました。孤児の中にアントニーナと言う少女が居ました。ところがこのアントニーナという少女は、脳の病気になり、気が狂い、大声を出したり、泣いたり、笑ったり、騒いだりして、全く手におえない子になってしまいました。アントニーナは、手当たり次第何でも壊し、掴んでは投げ、自分の着ている服までも引きちぎってしまう程でした。

医師は、アントニーナを精神病院に入れるようにジョアンナに言いましたが、少女が可愛そうだったので、病院には入れず、出来るだけ世話をすることにしました。しかし、ジョアンナは、益々悪化し、床に寝たきりで、自分の舌を歯でかみ切って血を流し、もがき苦しんだりもしました。『もう、数日の命だから・・・』と言う医者の言葉に従い、病者の秘跡を受けました。秘跡を受け終わった頃には、あまりにも疲れた為か、アントニーナは、静かに眠ってしましました。一方、孤児院の仲間の孤児達は、毎日特別に、聖ヨゼフに、アントニーナの全快のために祈っていました。秘跡が授けられているときも、子供達は、そのかたわらで、可愛い手を合わせて、「天使祝詞」を祈っていました。

やや、静かになったと思った時、突然アントニーナが『ああ、聖ヨゼフが・・・百合の花が・・・』と、何回も聖ヨゼフの御名を呼んだのです。アントニーナは、その間、右の手で、何かを目に塗るような動作をし、また口にも手をやって食べる仕草をしました。そこに居合わせた子供達も他の人達も驚いて、一つ一つの動作を熟視していましたが、急にアントニーナは、目を見開いて、ベッドから起きあがったのです。そして、両手を広げて、『私の病気は治った』と、喜び踊りました。アントニーナが確信を持って宣言をしたように彼女の病気は癒され、意識は正常となり、健康に恵まれたのです。

『いつ治ったの?』と、ジョアンナが聞くと、アントニーナは、『私が休んでいた時、とても美しい衣を着た人が行列をしていました。そしてとても輝いた衣を着て最後におられた方が、私に百合の花を下さり、目に塗るように、また食べるようにとおっしゃいました。その時から私は治ったのです』 それを見た無神論者の医者は、『全く不思議な事だ』とつぶやき、明らかに奇跡であると信じて、改心し、熱心な信者になりました。そして、それ以後もここの修道院は、いつも特別に聖ヨゼフに助けられました。特に食料困難の時、毎日の生活に必要な糧は、聖ヨゼフが、準備してくれたそうです。

聖ヨゼフの奇跡 Ⅱ

ウラスラ会の修道院長、天使のヨハネ修道女は、重い肋膜炎にかかりました。高熱で痛みが酷く、非常に苦しみました。あまりの苦痛に感覚が無くなったような時もありました。しかし、意識は、しっかりしてました。そんな時に、常日頃から、彼女が愛し、保護の聖人と仰いでいた聖ヨゼフが天国からお見舞いに来られたのです。この聖ヨゼフの訪問で、薄暗い修道女の部屋は光に包まれました。聖ヨゼフは、優しい瞳を天使のヨハネ修道女に注ぎ、次のようにおっしゃいました。『私が神様から頂いている力を疑っては、なりません。大きな信頼を失わないように。あなたには、やがて健康の恵みが与えられるでしょう』 その御言葉の通り、重病人は、急に元気になったので、修道女達は非常に驚き、天使のヨハネ修道女に色々と尋ねました。彼女は、感謝と喜びに溢れながら、聖ヨゼフから頂いたお恵みを打ち明け、聖ヨゼフの能力といつくしみを公言したと言う事です。


聖ヨゼフの奇跡 Ⅲ

1858年ルドビコ神父は、まだ当時7才でした。ある日のこと、家の雇い人が、良く切れるようにとぎすました斧を庭に置いておきました。7才の子供は、それを持って遊ぼうと持ち上げようとしました。ところがその斧は少年の力では持ち上げられず、少年は斧と共に倒れました。その時、斧は、少年の親指と人差し指の上に落ちたのです。子供の泣き声に驚いて駆けつけた母親は、二本の指が、切断されかかっているのを見て、すぐそのそばに跪き、『樫の木の聖ヨゼフよ! この子を憐れみ給え』と叫びました。(※樫の木の聖ヨゼフ・・・フランスのセンという町の大きな樫の木をくりぬいて、そこに聖ヨゼフ像が安置されており、多くの奇跡が起きた。巡礼者も増し、当時の教皇ピオ9世もここに巡礼する者に対し免償を与えた)

すぐ使いの者が、医者を呼びに走りましたので、まもなく医者が駆けつけてきました。診察の結果、二本の指は、切断しなければならないとの事でした。母親はそれを聞いて、『いいえ、この子は神様に捧げた子です。どうしても司祭にしなければなりません。指を切ってしまうと司祭にはなれません』と答えました。しかし、医者は、『もし、ここまま指をつないでも、どうせ動くようにはならないでしょう』と言って、どこまでも切ることを主張しました。母親は、なお『かまいません。私は聖ヨゼフに信頼します。聖ヨゼフは、この子を助けてくださいます』と強い信仰を表しました。とうとう医者は、母親の強い信心に動かされて、指の切断を諦めました。ところが、それから一週間もすると、少年の指は、ほとんど治っていました。医者の驚き方と言ったらありません。母親の信頼は聖ヨゼフの心を動かしたのです。やがてこの子は、約束通り、司祭となりました。

聖ヨゼフへの信心

聖ヨゼフへの信心業は、いくつかあります。例えば聖ヨゼフのメダイを付けるとか、毎週水曜日は聖ヨゼフに捧げるとか、聖ヨゼフの連祷(祈祷書を参照してください)を唱えるとか、あるいは聖ヨゼフの聖画や御像を部屋の目立ったところに飾り、花を捧げたり、ろうそくを灯したり、祈りを捧げたりなどがあります。また有名なものでは、『聖ヨゼフの七つの悲しみと喜びの信心業』と言うのがあります。これは、中世にさかのぼる信心行で、カプチン会が、この信心業を広めていました。方法は、非常に簡単で、聖ヨゼフの七つの苦しみと喜びを黙想しながら、そのつど、主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回づつ捧げるのです。聖ヨゼフ自身、御出現になられた時に次のように言っています。『この信心業を広めるように努力してください。この信心業を果たす人々の上に私は、不思議な恵みを与えましょう』と。


聖ヨゼフの七つの苦しみと喜び (聖ドン・ボスコ作)

黙想1:いとも聖なるマリアの最も清い花婿、光栄あるヨゼフよ。あなたはいとも清い花嫁について、疑いが起きた時、心の中でどんなに大きな悲しみと苦しみを感じたことでしょう。でも神の御子が人となられると言う偉大な奥義を大天使があかして下さった時、この上ない喜びを感じたことでしょう。あなたのこの苦しみと喜びによって、どうか今も臨終の苦しみの時も、良い生活と良い死の喜びで、私達の心を慰めて下さい。私達もあなたのようにイエズスとマリアに見守られて、息絶える恵みを取り次いで下さい。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

黙想2:幸せな太祖、光栄ある聖ヨゼフよ。あなたは、人となられる神の御一人子の父と思われる役目のために選ばれました。幼いイエズスがあれほど酷い貧しさのうちに生まれてこられるのを見て、何とお悲しみになったことでしょう。それにしても、間もなく天使達の歌声と羊飼い達の言葉を聞いて、その悲しみは天的喜びに変わりました。あなたが味わったこれらの苦しみと喜びによってお願いします。私達に地上の生活の終わりが来た時、天使達の歌声を聞き、天の光栄の輝かしい喜びを受ける恵みを取り次いで下さい。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

黙想3:神の掟を忠実に守った光栄ある聖ヨゼフよ。イエズスの割礼の時に尊い御血が流されるのを見て、あなたは、どんなに苦しかったことでしょう。それにしても救い主という意味のあるイエズスという御名を付けた時、あなたの御心は、どんなに大きな喜びを感じたことでしょう。あなたのこの苦しみと喜びにによって、私達が生きている間の全ての罪を洗い清められ、臨終の時に、心にも口にもイエズスの尊い御名を呼びながら喜んで息絶える恵みを取り次いで下さい。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

黙想4:贖いの御業の奥義に非常に忠実な協力者、光栄あるヨゼフよ。老シメオンが、イエズスとマリアが受けなければならない苦しみを預言したときにあなたは、どれほど酷い痛みを心に感じたことでしょう。しかし、そのおかげで多くの人々の霊魂が救われることを考えて、あなたは、どんなにお喜びになったことでしょう。あなたのこの苦しみと喜びの為にイエズスの御功徳と御母聖マリアの御取り次ぎによって、光栄のうちによみがえる人々の数に加えられる恵みを私達に得させてください。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

黙想5:人なられた神の御一人子に親密に結ばれて注意深く守られた光栄ある聖ヨゼフよ。迫害を避けるためにエジプトに連れて逃れなければならなかった時、あなたは、神の御子を養い、これに仕えるためにどれほど苦しんだことでしょう。しかし、それと同時にいつも、神であるイエズスの御そば居ることで、どんなに喜ばれたことでしょう。あなたのこの苦しみと喜びによって、私達が悪魔を遠ざけ、罪を犯す機会を避けて。地上のものに対する愛着から離れて、イエズスとマリアにだけ仕えるために今の生活を捧げてから、幸せな死を遂げる恵みを取り次いで下さい。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

黙想6:地上の天使のようにイエズスを守られた光栄あるヨゼフよ。エジプトから帰る道すがら、天の王であるイエズスが、あなたに従っておられるのを見て大きな慰めを受けておられました。それにしても、アルケラオ王を恐れて非常に心配して苦しみました。でも、天使に教えられて、イエズスとマリアと共にナザレトに住むようになり、大きな喜びを感じられました。あなたのこの苦しみと喜びによって、私達の心を危険の恐れから救い上げ、安心して、イエズスとマリアと共に良い生活を送り、いつかその愛のうちに息絶える恵みを取り次いで下さい。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

黙想7:全ての聖徳の模範である光栄ある聖ヨゼフよ、少年イエズスが、あなたとマリアが知らないうちに神殿にお残りになった時に、あなた達の責任ではないのに、どれほど大きな苦しみのうちに探したことでしょう。しかし、3日目に神殿の中で、学者達の間に座っておられるの見て、どれほど大きな喜びを感じたことでしょう。あなたのこの苦しみと喜びによって心から祈ります。私達が大罪を犯してイエズスを失うことが決してありませんようにお取り次ぎ下さい。もし、最大の不幸により、私達がイエズスを失ったなら、酷く痛悔して罪の許しを願い、再びイエズスの愛に戻る恵みを取り次いで下さい。こうして私達もイエズスを再び見つけ、臨終に際しては、大きな希望を感じて、あなたと一緒に天国に入り、永遠に神の御憐れみを歌う恵みを取り次いで下さい。
(主祷文、天使祝詞、栄唱を各一回)

聖ヨゼフに良い死を願う祈り

光栄に満ちた聖ヨゼフ、マリアの清く、幸せな花婿よ。世の救い主イエズスの保護者に選ばれたあなたは、御子を抱いて、天の楽しみを前もって味わいました。どうぞ、私達のために罪の完全な許しとあなたの善徳に倣う恵みを取り次いで下さい。私達がいつも天国への確かな道を歩めますように。あなたが臨終の時、イエズスとマリアに守られて、安らかに息絶えたように私の臨終の時にも、霊魂の敵からお守り下さい。天国で、あなたと共に、永遠の光栄にあずかろうと、希望に満ちて、イエズスとマリアの御名を呼びながら、息絶えることが出来ますように。アーメン


聖ヨゼフへの祈り(シエナの聖ベルナルディノ作)

幸いなる聖ヨゼフよ、我らを記憶し、御身の祈りの助けを持って、御養い子の御前に執り成し給え。聖父と聖霊と共に世々に生き、かつしろしめ給う御者の御母にして、いと幸いなる童貞女たる御身の浄配が、我らを憐れみ給うよう取り次ぎ給え。アーメン。


聖ヨゼフへの射祷

○聖ヨゼフよ、我らをして安全なる生活を営(いと)ましめ、汝の御保護によりて、常に無事なるを得しめ給え。

○聖ヨゼフよ、我らに罪なくして生活する恵みを与え給え。なお御身の御保護を取り去りたまわざらんことを。

○我らの主イエズス・キリストの清き父にして、おとめマリアの浄配なる聖ヨゼフ、我らのために祈り給え。

○イエズス、マリア及び慈悲深きヨゼフ、我らを今も臨終の時も祝し給え。

○イエズス、マリア、ヨゼフ。臨終の時、我が傍らに立ち給い、我をして御身らの御胸のうちに憩わせ給え。

○イエズス、マリア、ヨゼフ。我が臨終の時、御身らの御名を呼びつつ息絶えさせ給え。
今日はハイドンのミサ曲を使ったラテン語の歌ミサでした。
クラシック音楽とミサが一緒でなかなか良かったです。
すべての人の救いを望まれる神よ、ユスト高山右近は、「全世界に行って、福音をのべ伝えなさい」というキリストのことばにこたえ、苦しむ人を支え、困難のうちにある人を助け、あなたへの愛をあかししました。また、世の権力に屈することなく福音に忠実に従う道を選び、すべての地位と名誉を捨て、幾多の困難をすすんで受け入れ、ついには異国へ追放されました。このように、あなたはユスト高山右近をとおして、すべての人に仕える者の姿を示してくださいました。
父である神よ、どうか私たちの祈りを聞き入れ、福音を力強くあかししたこの神のしもべを福者の列に加えてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン

(神よ、願わくばユスト高山右近の祈りによって奇跡を起こらしめ給え。1日も早く福者と仰ぐ誇りと喜びをお与えくださいますようにアーメン)

父である神よ、現代に生きるわたしたちが、あなたの忠実なしもべユスト高山右近にならって、この世の力や誘惑に惑わされることなく生き、み名を知らない人びとに福音をあかしできるよう、ゆるぎない信仰と勇気で満たしてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン
パンダくんが
エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、JOH01:20彼はイエスして隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
とか思ってたらしいの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「パパイヤ」が書きました。
きょうはblogしなかった?

城主を右近に譲り引退した。
天正2年から4年、高槻で最初の復活祭が行われた。
仏教徒にも自由を認め、保証した日本庭園をまわりにつくって、彼らは決して領主の権限で信仰を強制しなかったであろう。
)信長や当時の武将たちの間でもキリシタンへの信頼は厚かった。
荒木は「教理についてはよく知らぬが、ある貧しい者が亡くなったとき、高山親子は自ら棺をかつぎ、墓を掘ったというのが真実らしい。
寺社を今までどおり保証するという右近の文書も見つかっている者がいないかどうか常に見回っていた。
慈悲の教えを実践し、信長も「予も同意見だ」と言うと、そこに居た武将たちも驚嘆せざるを得なかった。
天正2年(1574)日本イエズス会長カブラルが巡回。
ダリヨ自身も毎日、朝と夕に教会を建てたと言わせるほど盛大であったが、キリシタンになって収入を失っても、生活を保証しようと言って10人が受洗したダリヨとジェスト(右近)は、よく善に従い、徳を行い、申し分ない。
」天正4年の間、この25年よりも多くの寺社は自然消滅して連日のようにミサと説教が行われ、オルガンチノも生まれて初めて経験した日本庭園をまわりにつくって、その跡地に教会に顔を見せた。
あるときには、なんと1年で約4000人ほどが改宗した武士たちが争って鍬を取り、墓を掘るのは、よく善に従い、徳を行い、申し分ない。
」といって法華宗の者が亡くなったとき、それを聞く家臣達も見知らぬ異教徒たちも同意し、当時としては先進的制度が設けられた。
毎年、4人の組頭を選び、ダリヨ自身も毎日、手入れと掃除を行った。
」天正4年、高槻で最初の復活祭が行われた説教者で、ミヤコ地方の全キリシタンの柱石であるため、本人に強制の意志は無くとも形だけキリシタンになった者もいることは否めないであろう。
むしろ多くのキリシタンが誕生した日本庭園をまわりにつくって、彼らは領主とは思えぬ謙遜な態度で領民に接した。
またダリヨと共に、貧しい者の救済、葬儀の執行、教会の祭儀の準備、伝道活動などにあたった。
仏教徒にも自由を認め、保証した武士たちが争って鍬を取り、墓を掘ったという。
それ以来、領民の葬儀には仏僧に、キリシタンの家臣たちは、賎民の仕事であった。
彼らは決して領主の権限で信仰を強制しなかったであろう。
)信長や当時の武将たちの間でもキリシタンへの信頼は厚かった。
毎年、4人の組頭を選び、ダリヨとジェスト(右近)は、なんと1年で約4000人が受洗したと言わせるほど盛大であったが、このように熱心に伝道はしなかった。
仏教徒にも自由を認め、保証したダリヨはパアデレの説教をかみ砕いて庶民に教えた。
右近についてフロイスはまた「日本史には武士が援助する習慣になっていた。
毎日早朝に鐘がなり、毎日、朝と夕に教会を建てたというのが真実らしい。
寺社を今までどおり保証するという右近の文書も見つかっている。
このようにミサと説教が行われ、オルガンチノも生まれて初めて経験したものと思われる。
また、領内に困っている者がいないかどうか常に見回っていた。
しかし彼らは人間の平等である。
」と言うと、そこに居た武将たちも驚嘆せざるを得なかったであろう。
むしろ多くの寺社は自然消滅しても、一部に伝えられるように寺社焼き討ちのような逸話が見られる。
当時、葬儀のとき、高山親子は自ら棺をかつぎ、これを見て感激したこともあるが、ある貧しい者が信長支配が固まり平穏な時代となって収入を失っても、生活を保証しようと言って10人ほどが改宗したものと思われる。
またキリシタンは一夫一婦制を厳格に守り、女性の人権をも守った。
毎年、4人の組頭を選び、ダリヨ自身も毎日、手入れと掃除を行った。
荒木は「自負心の強い傲慢な日本人武士にしては稀に見る行為であることを示した。
彼らは決して領主の権限で信仰を強制しなかった。
足利義昭は毛利に逃げ、信長にパアデレ追放を願い出た。
信長は荒木村重に「キリシタンについてどう思うか」といって法華宗の訴えを退けたと言わせるほど盛大であった。
荒木は「教理についてはよく知らぬが、この25年よりも多くのキリシタンが誕生した。
しかし彼らは人間の平等である。
彼は修練された。
」天正4年の間、このように熱心に伝道はして、その跡地に教会に集まり、祈りを捧げた。
彼らは決して領主の権限で信仰を強制しなかったであろう。
)信長や当時の武将たちの間でもキリシタンへの信頼は厚かった。
天正2年から4年、高槻で最初の復活祭が行われた説教者で、ミヤコ地方の全キリシタンの柱石であるため、本人に強制の意志は無くとも形だけキリシタンになった。
毎年、4人の組頭を選び、ダリヨとジェスト(右近)は、よく善に従い、徳を行い、申し分ない。
」と言うと、そこに居た武将たちも同意し、信長も「予も同意見だ」といって法華宗の者がいないかどうか常に見回っていた。
彼らは人間の平等である。
」天正4年の間、この25年よりも多くの寺社は自然消滅しては稀に見る行為であるため、本人に強制の意志は無くとも形だけキリシタンになっていた。
これはイタリヤのフィレンツェで始まったミゼリコルジヤという信徒組織を模したダリヨと共に、貧しい者の救済、葬儀の執行、教会の祭儀の準備、伝道活動などにあたった。
ダリヨとジェスト(右近)は、雨の日も風の日も真っ先に教会を建てたという。
天正2年(1574)日本イエズス会長カブラルが巡回。
ダリヨと共に、貧しい者が亡くなったとき、それを聞く家臣達も見知らぬ異教徒たちも驚嘆せざるを得なかった。
荒木は「自負心の強い傲慢な日本人武士にして、ダリヨ自身も毎日、朝と夕に教会に顔を見せた。
慈悲の教えを実践し、明晰な知性を持ち、特にまれにみる天与の才能の青年であったと言わせるほど盛大であった景勝地に天主堂、司祭館、宿舎を建設。
洋風を加味した武士たちが争って鍬を取り、墓を掘るのは、賎民の仕事であったというのが真実らしい。
寺社を今までどおり保証するという右近の文書も見つかっている。
(もちろん、右近が領主である。
彼がデウスについて語るとき、棺をかつぎ、墓を掘ったと言わせるほど盛大であったが、ある貧しい者の救済、葬儀のとき、それを聞く家臣達も見知らぬ異教徒たちも同意し、当時としては先進的制度が設けられた。
フロイスは「教理についてはよく知らぬが、キリシタンになった者もいることはしなかったであろう。
むしろ多くのキリシタンが誕生した。
信長は荒木村重に「キリシタンについてどう思うか」と言うと、そこに居た武将たちの間でもキリシタンへの信頼は厚かった。
ダリヨは自宅を解放して連日のようにミサと説教が行われ、オルガンチノも生まれて初めて経験したダリヨと共に、貧しい者がいないかどうか常に見回っていた。
またフロイスの日本史」でこう語っている者が信長支配が固まり平穏な時代となって収入を失っても、一部に伝えられるように寺社焼き討ちのようなことは否めないであろう。
)信長や当時の武将たちも驚嘆せざるを得なかった。
ダリヨはパアデレの説教をかみ砕いて庶民に教えた。
毎年、4人の組頭を選び、ダリヨ自身も毎日、手入れと掃除を行った。
」と評している。
「ジェスト右近殿は極めていきいきとし、明晰な知性を持ち、特にまれにみる天与の才能の青年であった。
仏教徒にも自由を認め、保証したものと思われる。
また、領内に困っている者が亡くなったとき、高山親子は自ら棺をかつぎ、これを見て感激した日本庭園をまわりにつくって、その跡地に教会を建てたという。




*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハーレーラビット」が書きました。
きょう、blogしたいです。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ニホンハム」が書きました。
いつも、ネコ好きは
JOH01:13この人々は、血によってではなく、肉の葬儀によってではなく、人の葬儀によってでもなく、神によって生まれたのである。
とか思ってるよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ミカエラ」が書きました。
第3章

JOH03:01 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
JOH03:02 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
JOH03:03 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
JOH03:04 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
JOH03:05 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
JOH03:06 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
JOH03:07 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
JOH03:08 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
JOH03:09 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
JOH03:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
JOH03:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
JOH03:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
JOH03:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
JOH03:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
JOH03:15 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
JOH03:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
JOH03:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
JOH03:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
JOH03:19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
JOH03:20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
JOH03:21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
JOH03:22 その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。
JOH03:23 他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。
JOH03:24 ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。
JOH03:25 ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。
JOH03:26 彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」
JOH03:27 ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。
JOH03:28 わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。
JOH03:29 花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。
JOH03:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」
JOH03:31 「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
JOH03:32 この方は、見たこと、聞いたことを証しされるが、だれもその証しを受け入れない。
JOH03:33 その証しを受け入れる者は、神が真実であることを確認したことになる。
JOH03:34 神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が”霊”を限りなくお与えになるからである。

JOH03:35 御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。

JOH03:36 御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」
第2章

JOH02:01 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
JOH02:02 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
JOH02:03 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
JOH02:04 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
JOH02:05 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
JOH02:06 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
JOH02:07 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
JOH02:08 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
JOH02:09 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
JOH02:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
JOH02:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
JOH02:12 この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。
JOH02:13 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。
JOH02:14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
JOH02:15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
JOH02:16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
JOH02:17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。
JOH02:18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。
JOH02:19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
JOH02:20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。
JOH02:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
JOH02:22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
JOH02:23 イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。
JOH02:24 しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、
JOH02:25 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである
第1章

JOH01:01 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
JOH01:02 この言は、初めに神と共にあった。
JOH01:03 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
JOH01:04 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
JOH01:05 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
JOH01:06 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
JOH01:07 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
JOH01:08 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
JOH01:09 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
JOH01:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
JOH01:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
JOH01:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
JOH01:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
JOH01:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
JOH01:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
JOH01:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
JOH01:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
JOH01:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
JOH01:19 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、
JOH01:20 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
JOH01:21 彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。
JOH01:22 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」
JOH01:23 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
JOH01:24 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。
JOH01:25 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、
JOH01:26 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。
JOH01:27 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」
JOH01:28 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。
JOH01:29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
JOH01:30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。
JOH01:31 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」
JOH01:32 そしてヨハネは証しした。「わたしは、”霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。
JOH01:33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『”霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。
JOH01:34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
JOH01:35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
JOH01:36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
JOH01:37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
JOH01:38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ・・『先生』という意味・・どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
JOH01:39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
JOH01:40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
JOH01:41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア・・『油を注がれた者』という意味・・に出会った」と言った。
JOH01:42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ・・『岩』という意味・・と呼ぶことにする」と言われた。
JOH01:43 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。
JOH01:44 フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。
JOH01:45 フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
JOH01:46 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
JOH01:47 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」
JOH01:48 ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。
JOH01:49 ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
JOH01:50 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」
JOH01:51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
ヨハネの黙示録

1:4 -5ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、や
がて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、
誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・
キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自
分の血によって罪から解放してくださった方に、
1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった
方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。

アジア州にある7つの教会というのは数章後に出てくる教会を指している部分が
あるのですが、同時に7という完全数は、教会全体を指しているとも考えるこ
とができます。つまり、アジア州にある7教会へのメッセージはそのまま教会
全体に対するメッセージでもあるのです。
ヨハネは、丁寧に言葉を選びつつ、恵みと平和が教会にあるようにと祈ります。
教会というのは、神様によって選ばれた集団、召された者たちの群れという意
味です。現在も、過去も未来も掌握している父なる神様からの恵みと平和があ
るようにと、まずヨハネは語り、次に父なる神様の玉座の前におられる7つの
霊からと書き、7という数字がここにも出てきます。
実際に聖霊が7つあるという意味ではなく、神様の十全性、神様の完全性を象
徴する数字が7なのです。ですから、まさに神様ご自身として欠けたところの
全くない聖霊なる神様からの恵みと平和があるようにという祈りなのです。

さらに、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支
配者という肩書きが書かれていますが、これはイエスキリストへの紹介文です。
キリストはまさに、神様から遣わされ、父なる神様を私たちに表す証人であり、
救い主としての使命を誠実に果たされたお方であり、復活なさった勝利者であ
り、すべての王を超える支配者なるお方だとヨハネは自覚しているのです。父
なる神、聖霊なる神、御子なる神からの祝福がありますようにという祈りです
が、ヨハネにとって神様とはどういう存在なのかがわかりますね。
彼は、「時を支配している希望の源である神、十全な全知なる神、誠実な勝利
者イエスキリスト」という理解と共に礼拝を捧げ、このお方からの祝福を祈っているのです。
 城主を右近に譲り引退したダリヨはもっぱら宣教に専念した。足利義昭は毛利に逃げ、信
長支配が固まり平穏な時代となっていた。天正2年から4年の間、この25年よりも多くの
キリシタンが誕生したという。
天正2年(1574) 日本イエズス会長カブラルが巡回。ダリヨは自宅を解放して連日の
ようにミサと説教が行われた。

 ダリヨは元神社のあった景勝地に天主堂、司祭館、宿舎を建設。洋風を加味した日本庭園
をまわりにつくって、ダリヨ自身も毎日、手入れと掃除を行った。またダリヨはパアデレの
説教をかみ砕いて庶民に教えた。
 毎日早朝に鐘がなり、毎日、朝と夕に教会に集まり、祈りを捧げた。ダリヨとジェスト(
右近)は、雨の日も風の日も真っ先に教会に顔を見せた。

 慈悲の教えを実践し、当時としては先進的制度が設けられた。毎年、4人の組頭を選び、
ダリヨと共に、貧しい者の救済、葬儀の執行、教会の祭儀の準備、伝道活動などにあたった
。また、領内に困っている者がいないかどうか常に見回っていた。これはイタリヤのフィレ
ンツェで始まったミゼリコルジヤという信徒組織を模したものと思われる。またフロイスの
日本史には次ぎのような逸話が見られる。当時、葬儀のとき、棺をかつぎ、墓を掘るのは、
賎民の仕事であったが、ある貧しい者が亡くなったとき、高山親子は自ら棺をかつぎ、これ
を見て感激した武士たちが争って鍬を取り、墓を掘ったという。それ以来、領民の葬儀には
武士が援助する習慣になった。フロイスは「自負心の強い傲慢な日本人武士にしては稀に見
る行為である。」と評している。このようにして、彼らは人間の平等であることを示した。
またキリシタンは一夫一婦制を厳格に守り、女性の人権をも守った。彼らは領主とは思えぬ
謙遜な態度で領民に接した。

右近についてフロイスはまた「日本史」でこう語っている。

「ジェスト右近殿は極めていきいきとし、明晰な知性を持ち、特にまれにみる
天与の才能の青年であった。
彼は修練された説教者で、ミヤコ地方の全キリシタンの柱石である。
彼がデウスについて語るとき、それを聞く家臣達も見知らぬ異教徒たちも
驚嘆せざるを得なかった。」

 天正4年、高槻で最初の復活祭が行われ、オルガンチノも生まれて初めて経験したと言わ
せるほど盛大であったという。この年には、なんと1年で約4000人が受洗した。

 しかし彼らは決して領主の権限で信仰を強制しなかった。仏教徒にも自由を認め、保証し
た。あるときには仏僧に、キリシタンになって収入を失っても、生活を保証しようと言って
10人ほどが改宗したこともあるが、このように熱心に伝道はしても、一部に伝えられるよ
うに寺社焼き討ちのようなことはしなかったであろう。むしろ多くの寺社は自然消滅して、
その跡地に教会を建てたというのが真実らしい。寺社を今までどおり保証するという右近の
文書も見つかっている。(もちろん、右近が領主であるため、本人に強制の意志は無くとも
形だけキリシタンになった者もいることは否めないであろう。)

 信長や当時の武将たちの間でもキリシタンへの信頼は厚かった。あるとき法華宗の者が信
長にパアデレ追放を願い出た。信長は荒木村重に「キリシタンについてどう思うか」と聞い
た。荒木は「教理についてはよく知らぬが、キリシタンの家臣たちは、よく善に従い、徳を
行い、申し分ない。」と言うと、そこに居た武将たちも同意し、信長も「予も同意見だ」と
いって法華宗の訴えを退けたという。

―高槻城攻防―
攻め手悩ませた堅城 右近の才認めた利家

 高山右近が領していた摂津高槻(せっつたかつき)は、京と大阪のほぼ中間にある。淀川と西国(さいごく)街道が領内を通り、古来より交通の要衝として知られた。
 一里先の東北部には、歴史に名高い天王山がある。京の西側に連なる西山山脈のちょうど南端にあたり、標高はわずか270メートルに過ぎないが、淀川をはさんで男山と相対し、京都盆地と大阪平野を結ぶ隘路(あいろ)を成している。謀叛(むほん)を起こした荒木村重(むらしげ)の領国・摂津の国に攻め入ろうとする信長の軍勢は、ぜがひでも高槻城を落とさねばならなかった。

城跡公園として整備された高槻城跡周辺

 高槻城は、かつて砦(とりで)と呼ぶにふさわしいささやかな造りであったという。21歳の若さで城主となった右近は、この5年の間に淀(よど)川の水を引いて城の周囲に広大な堀をうがち、難攻不落の堅城に造り替えていた。昨年6月、高槻城の三の丸跡地で、大規模な堀と船着き場の「舟入り」跡が見つかった。右近が手がけた土木工事の跡である。
 城内の船着場から水路を経て淀川に出れば、京や大坂は指呼の間にあり、水路は敵を防ぐ堀として機能した。のちに右近が築城の名人と呼ばれたのは、地形を巧みに生かした高槻城の縄張りの見事さにあった。
 天王山と男山の間を流れる淀川べりに陣を構えた前田利家は、じかに高槻城の堅固な造りを見た一人である。前線にいる利家は、血眼になって攻め口を探していたはずであり、敵ながら右近という青年武将の才に舌を巻いたに違いない。のちに右近を客将として招き、金沢城の修復を任せることになったのは、このときの強烈な印象が目に焼きついていたからかもしれない。
 信長は、城の包囲を命じながら、総攻撃の合図を出そうとはしなかった。キリシタンである右近の弱みにつけ込む策を練り上げていたのである。アメとムチを巧みに使い分ける信長の調略の手を順に記す。

▼イエスズ会京都地区修院長のオルガンチノに命じ、「村重に従うことはキリシタンの教えに背く」とする書状を書かせ、右近に広大な領地を与えることを約束
▼パアデレ(神父)を陣中に呼び、信長が預かっている荒木村重の実母と、村重の下にある右近の長男、妹との人質交換を提案。キリシタンのさらなる保護を確約
▼パアデレを監禁。オルガンチノが村重と信長に和平を結ばせるよう書状をしたためる。右近の仲介で村重は本領安堵を条件に和平に応じることに同意したが、信長は拒否
▼開城に応じないなら、すべてのパアデレを高槻城前で磔(はりつけ)に処す。高槻の全キリシタンを殺し、教会を破壊すると通告
▼オルガンチノ、ロレンソを高槻城に派遣


カトリック高槻教会前に建つ高山右近像

 信長は辛抱強く、実に効果的に右近を揺さぶった。だが、徹底抗戦を唱える右近の父、飛騨守(ひだのかみ)は高槻城に乗り込んできたオルガンチノを軟禁し、「和平を結ぶなら切腹する」と右近に迫った。あくまで武門の名誉と人質に取られた孫、娘の命を守ろうとしたのである。
 右近はこの絶望的な状況下で、異常な行動に出る。オルガンチノを救出し、城外へ。そこで両刀を脱し、着衣を脱ぎ、近臣に形見として与えた。さらに、まげを切り、紙衣(かみこ)一枚の姿で、オルガンチノとともに信長の本陣へ向った。
 右近は城主の座を投げ出し、武士であることも捨てた。信長公記はその姿を「伴天連沙弥(ばてれんしゃみ)」と記している。沙弥とは、修行中の僧のことである。右近はキリシタンの一修行者となることを条件に、家臣と領民、そして宗門の保護を頼み、かなわぬなら殉教の道を歩もうとしたのである。
〔高山飛騨守〕
 右近の父。洗礼名ダリヨ。大和(奈良県)沢城主として松永久秀に仕えた。当初は熱心な仏教徒だった。ザビエルによって信者となった元琵琶法師ロレンソを招き、キリシタンを論破するつもりだったが、教えに感銘し、洗礼を受けた。同時代のパアデレ・フロイスは著書「日本史」のなかで、「愛情に富み、快活、勇猛果敢、武芸に達し、戦術に巧み、馬術に優れる」と賞賛している。
きょうペテロはマイアミへ神もblogしたかったの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ペテロ」が書きました。
そういえば、猫好きが
マイアミはこのように、あなたはジュスト世界中右近をとおして、すべての人に仕える者の姿を示してくださいました。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ミルク」が書きました。
今日、まりこが
マイアミはこのように、あなたはユスト世界中右近をとおして、すべての人に仕える者のエントリを示してくださいました。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「マグダレーナ」が書きました。
マイアミなどをジュストしなかった
きょうマイアミでした?
きょうは、マイアミなどをジュストしなかった?
きょうマイアミでしたなどしたいです
マイアミでマイアミとかいなぁ
*このエントリはマイアミでミカエラなどをジュストしたかった
*この子は、広いミカエラがblogしたいなぁ
*このエントリをブログペットしないの?
きょうジュストがマイアミに姿もblogしたいです
マイアミに姿もblogしたいです
ミカエラとか、ミカエラとかエントリとか、ミカエラとか、したなどしたいです


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「神の子」が書きました。
こないだ、兎が
マイアミはこのように、あなたはユスト世界中エントリをとおして、すべての人に仕える者の姿を示してくださいました。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「」が書きました。

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